旅の途中

鎌倉 宅間ケ谷

鎌倉は秋よりも初冬がいい、それも年の暮れなら

なお静寂の刻を満喫できるでしょう。

まもなく冬至を迎えるという夕暮れ、

遅れてきた紅葉の葉がはらはらと舞い落ちる

宅間が谷を歩きます。

鎌倉といえば、頼朝に始まる源氏三代の悲劇的な

歴史ばかりに想い至るのですが、

その後の鎌倉にも永い歴史が刻まれているのです。

まるで『平家物語』を何度も聞かされるように、

栄華を極めた源氏も、

その後を力ずくで成り上がった北条氏も

あっけなく姿を消したあと、

足利氏が台頭する物語もまた鎌倉の持つもうひとつの

歴史なのです。

新編相模風土記の中に宅間ケ谷についての記載がある

『宅間ケ谷の報国寺の辺りを云う、

 当寺画工宅間左近将為行と云う者

 居住の地にして此の名ありと云へリ 

 云々・・・』

室町幕府の初代征夷大将軍となった足利 尊氏は

鎌倉幕府の有力御家人足利貞氏の次男として生まれた、

その祖父の足利家時が建立したのが今は竹の寺として

名を馳せている報国寺なのです。

かつては境内は広大で、東西45町、南北18町もあったとか、

あの名も麗しい衣張山もその境内の一部であったと寺伝にはある。

寺の名は『功臣山報国建忠禅寺』、

「いざ鎌倉!」と馳せ参じ、武運つたなく散っていった

若き武士(もののふ)たちに想いを致すために

苔むした五輪塔へ手を合わせる。

栄華とはそれほどまでに人の心を惑わすものなのか、

その足利一族もやがて僅かな石塔を崖のやぐらに

残しただけでこの世から消えていった。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」か・・・

Categories: 日々

雪 街 » « 朝の挨拶

2 Comments

  1. 田村さん、ご無沙汰ですが、お元気ですか?僕もこの日は鎌倉を歩いていました。

    • 旅人 散人

      2017年12月21日 — 11:45 AM

      社長殿
      お互い元気で歩けるってありがたいことだね、
      鎌倉は青春の思い出が詰まった町、今でも時々
      訪ねたくなるのですよ。

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