2010年03月08日(月)
波除稲荷
徳川家康が江戸に幕府を開いて400年余り、
当初、江戸は隅田川の河口の西に位置し、
日比谷入江と呼ばれる入江が、後の江戸城の間近に入り込んでいた、
家康が真っ先に取り組んだのは城下町の建設、
神田山を削り、日比谷入江を盛んに埋め立てて町を広げ、
家臣と町民の家屋敷を配置したため、江戸の人口は飛躍的に
増加していくのです。
江戸時代初期における江戸の範囲は、
現在の東京都千代田区とその周辺であり、
明暦の大火以後、「八百八町」と呼ばれるようになると
当初15万人ほどの人口も100年後には100万人を
越えたといいます。
人が町に集まれば、一番の問題は食料、
家康は江戸城内の台所を賄うために大坂は佃村から
漁師を呼び寄せ、江戸湾内での漁業権を与えたことで、
漁師たちは魚を幕府に納めた残りを日本橋に開いた
魚河岸でさばく様になったのがそもそもの魚河岸の
始まりとのこと。
さて訪ねたのは築地場外市場、
築地に広さ約23万平方メートルの東京都中央卸売市場が開設さたのは
昭和10年2月、その後太平洋戦争が始まり、食料品は配給統制となり
市場の役割は果たせなかったのですが、戦後、統制が解除されると
何しろ日本一の消費都市東京の人口は増大し続け、昭和37年には
1,000万人を超えたのです。
東京の食文化を支え続けてきた築地市場は、新たな時代を迎えようと
しています。
首都圏の生鮮食料品流通の中核を担う拠点として、平成24年度、
江東区豊洲地区に新市場として移転するというのです。
移転問題は米軍基地だけではないのですよ、
果たしてこの築地市場の移転がどんな結果をもたらすのか
賛成・反対入り乱れての結末は・・・
もう午後の時間になれば、市場は眠りについている時間、
久しぶりに新鮮な寿司ネタを揃える店で遅い昼食、
食後は市場の一番奥に鎮座する神社へ。
まだ築地が海だった時代に、埋立てられたこの土地は
度重なる高波に何度も襲われたといいます、
古人たちは最後は神に祈ったのでしょう、
この地の安全を祈願して 『波除稲荷』が祀られた
といいます。
その御由来は
海面を光りを放って漂うものがあり、
人々は不思議に思って船を出してみると、
それは立派な稲荷大神の御神体であったと、
なにやら浅草の観音様の出現のようなお話、
それ以来、波風は収まり、
埋立ても無事完了したといいます。
久しぶりに「お歯黒獅子」と「厄除天井大獅子」に参拝。
350年前から築地を守り続けてきた『波除稲荷』は
築地市場移転にどのような御采配をなさるのか
しっかりと見つめていようと思った東京散歩でございます。
築地波除稲荷神社にて
参照
築地市場HP、波除稲荷神社HP、
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