2004年06月17日(木)
志野創作人形展示館
北国街道海野宿に創作人形展示館が出来たことを知って作者志野里秋(りしゅう)さんに逢うために車を走らせた。
まだ観光に魂を売っていないこの町の生き方に魅せられて通い続けたこの町に、新たな“ふるさと”が生まれたと聞いてじっとしていられないというのが今の気持ちでありました。
2004年5月1日 開設
開設期間 4月〜10月末日
入館料 一人 ¥800
開設時間 10:00〜17:00
休館月 11月〜3月
休館日 毎週月曜日
〒389-0518
長野県東御市本海野丸屋1030-1
「自分の時間が欲しくて時間通りに終わる仕事をしてきましたよ。」定年退職を期に人形制作に打ち込み多くの作品が生まれてきました。残された人生の時間を考えると今だと思って展示館を開設。志野さんの命の語らいを是非御自分の心で感じて欲しいですね。
1966年 田中徳斉先生より人形作りの手解きを受ける。
1991年 京都の能面師 長沢浄春先生より面打ちの手解きを受ける。
身の丈に合った生き方でいいと思い、上田、小諸を中心に個展を開催してきましたが、今年になって常設館開設を決心し、築200年の古民家を再生、海野宿丸屋北屋敷に志野創作人形展示館を開設。
この古民家があってこそ人形達が生き生きと語り始めたにちがいないと志野さんの生き方に感動するばかりです。
60歳からの空即是色と名づけた小さな作品集の中で志野さんは「この花は一日だけの命 夜になると咲いていたそのままの姿で そっと散って行く そのいさぎよさ!!」とある。
志野さんが子供の頃から何時も読んでいたのは宮沢賢治、今も心の奥で語り続けているのは「風の又三郎」。
どっどどどどうど どどうど どどう、
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんもふきとばせ
どっどどどどうど どどうど どどう
此処は谷川の岸の小さな学校・・・
闇の奥から確かに聞こえてきました。
あの子供達の話す声が・・・
「不思議な話」と名づけられた作品
志野さんの原点は紛れも無く「風の又三郎」に違いなく、それは昔も今も子供達の中に流れている変わらぬモノ。
その変わらぬモノを伝えるために志野さんはこれからも人形を造り続けるに違いありません。
不思議な話を思いつけなくなった私という哀しい大人が此処にも一人呆然と立ち尽くしています。
「二十四の瞳」 壺井 栄作
岬の分校はひっそり静まっていた。薄暗い教室にはオルガンが一台、小さな二人掛けの木の机が六つ。「呼ばれたら大きな声で返事するんですよ。岡田磯吉くん」。売店で見た映画のせいだろうか、大石先生のはずんだ声がよみがえってきた。
時代の彼方に押しやっていないだろうか・・・
きちっと伝えなければいけない本当のこととは・・・。
「ときめき」
昭和の激動の時代を夢中で生き抜いてきた人の心に、直に訴える力がこの人形達にはあるのです。
そして老いて行く老人達が遠い昔の自分を探すだけではなく、今も大切なことは何も変わっていないことを若者達にも伝えて欲しい、いや、本音は若者達にこそ感じて欲しいと切に願わずにはいられないのです。あの当時を知る大人は沈黙することなく伝え続けること。それは何が大切であるかということを・・・
「うたたね」
子供が子供のままでいられる時間は大人が思っているよりずーっと短いのかもしれません。
情報が氾濫する現代は十歳の子供の考え方は、大人と変わらないかもしれない。
闇雲に情報だけを垂れ流すだけでは解決などあるはずも無く、時には害さえまきちらしているこの現代をもう一度しっかりと見据えなければ・・・
そんなことをこの少女の前で考えておりました。
考えるだけでなく何をどのように伝えるか、大人達に課せられた大儀の前で沈黙している暇はありません。
たった十年で小さな大人たちが生まれてくるのですから。
突然、太鼓が鳴り響き掛け声が闇の向こうから聞こえてきます。
親と子が、爺と孫が、語らいの場になってくれたら と志野さんは思い描いているのです。
「鬼子母神」 今の鬼子母神は何に怒る・・・
志野さんの面打ちとしての確かな腕が小さな命を輝かせていきます。歴史に裏打ちされた物語が目の前で繰り広げられる舞台は夢のままで終わらせてはいけないと太鼓の音と共に心に迫ってきます。それは人形の形をした古人(いにしえびと)の叫びなのだから・・・
立ち去りがたい思いを残して志野さんにお礼を述べ、必ず皆にこの人形達を伝えることをお約束して展示館を後にしました。
有名になることが目的ではありません、本当に大切なことを伝え続けることが生きる証だと、志野さんは教えてくださったから・・・。
間もなく志野里秋さん68歳の夏がやってきます。
信州 海野宿
志野創作人形展示館にて
Posted パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
【 過去の記事へ 】