春なれや名もなき山の薄霞 芭蕉

歌人 窪田空穂はこの皮膚に感じるように詠んでいる

芭蕉の句に、平凡である言葉の中にこそ平凡でありながら

心底感動できることを見抜いている。

その歌人 窪田空穂は代用教員として働いていた時、

教え子であった藤野を妻にした。

しかしその藤野は30歳という若さでこの世を去っている。

遅咲きの桜が咲く頃に埋葬された妻藤野の墓参に際し

「亡ぶべくも余りに惜しき魂のこの土の下に埋もると思はむ」

と詠んだ。

歌人にとって遅咲きの櫻はその日から特別の想いのこもった

花となった。

今年の櫻が二ヶ月掛けて北の果てで満開を迎えている、

しかし櫻は北に向かうだけではなく高みの山にも向かって

刻を重ねていくのです。

海抜1300mの山上湖の辺で今年最後の櫻に別れを告げておりました。

可憐な山桜、

古社の本殿に咲く大山櫻、

湖上を吹き抜ける冷たい風に揺れる紅枝垂れ櫻、

有名観光地にもかかわらず夕暮れの迫る湖の辺には人影も無い、

向かいあった枝垂れ櫻の下で

あの窪田空穂の歌碑に出逢ったのはもしかしたら

今年最後の櫻が呼び寄せてくれたのかもしれない。

 「五月なほ ふかきみ雪の 男体の

    山にとけては 湖となる」    空穂

明治45年、空穂35歳の時、女子美術学校生徒との

修学旅行に同行しここ日光を訪れた時の一首であるという。

まだ櫻に悲しい想いを抱く前の若々しい息吹きを感じる

一首である。

櫻に寄せる想いは、一人の歌人であってもその人生の

移り行く瞬間で全く感じ方が変わってしまうことを

ヒシヒシと感じていた。

私の櫻に寄せる想いは・・・

まだ悲しみはない、いやいつも憂いのある希望で

あって欲しい と改めて思いを寄せていた。

今年最後の櫻はあの妖艶さや、華やかさはもう消えていました。

新緑の華やかな希望の彩りの中では櫻にとっても

少し荷が重い気がしておりました。

櫻は長い冬を待って、待って、出逢えた喜びとともに

見つめる方が相応しいと・・・

もし、来年が無事迎えられるなら、きっとまた

櫻を追う旅を続けているだろう、希望を込めて

今年の櫻に別れを告げた 旅の途中です。