旅を続けていると見知らぬ人との多くの出逢いがあります。

そのほとんどが一期一会の出逢いなのです。

もう四半世紀も前のことになるのですが、忘れられない一人の

老人との出逢いがありました。

ある町の美しい川に掛かる小さな橋の上から写真を写していると

後ろで自転車のブレーキの音がしましてね、

夢中でファインダーを見つめていた私はそのまま撮影を続けていると、

「なあ、この町はいい町だろ」

と耳元で囁いたのです。

私はカメラを下に向けると黙って頷きました。

見知らぬ町でカメラを構えているとよく声を掛けられるのですが

10人の人が10人とも

「この町は写真になるようなものは何もないよ」

と答えるのです。

でも、その白髪の老人は嬉しそうに笑顔を浮かべると

自分の町を「いい町だろ」と言ってくれたのです。

なんだかその言葉を聴いた後、本当にその町がいい町に

感じられてきたのですから、言葉は本当に大切なものなのですね。

それからは、いつか、あの老人が頷きながら話してくださった

その「いい町」を必ずもう一度訪ねてみようと想い続けていたのです。

小さな駅を降りると古い記憶をたどりながらその橋を探しました。

季節も違うし空の色も違う、それに今は満開の桜が迎えてくれました。

当町通りと言うのだったのですね、そしてあの清らかな川は

今出川というのも今回知りました。

もうあの老人はきっと天国からこの町を見つめているのでしょうね。

満開の桜の下を若い二人が歩いてきました。

その微妙な距離に二人のあどけない青春が伝わります。

私はその二人に声を掛けました。

「この町はいい町ですね」 と、

二人は顔を合わせると微笑みながら頷いてくれました。

あの時の私のように・・・

そして、あの橋の上に佇みました。

そう、ここですよ、あの老人に声を掛けられたのは、

先ほどまで晴れていた空に黒雲が覆い初めていた、

そしてその黒雲の間から一条の光がまるで天の意思のように

射してきました。

もしかしたらあの時の老人の

「お前さんよく覚えていてくれたね、どうだ

 相変わらずいい町だろ」

私にはそんな声のように聞こえるのでした。

あの老人が私に贈ってくれた温かい言葉をこの町に

お返しに来られたような気分でとても嬉しいひとときでした。

「私もいい事を伝え続けていきますよ」

まぶしいその光はやがて桜を一瞬だけ浮き立たせると

何事もなかったように消えた。

其処は夕暮れの満開の桜の下でした。

「この町はいい町ですよ」

私は何度もそうつぶやいておりました。