浅草寺本尊聖観世音菩薩の感得・奉安に関わった

土師中知,檜前浜成・竹成兄弟の三人を祀るのが

浅草神社、昔は三社権現社と呼ばれておりましたので

祭りは今でも「三社祭」なんですね。

氏子町内は江戸の昔は十八ケ町、現在は四十四ケ町

その四十四ケ町を三つに分けて

 東部十二ヶ町、

 西部十六ヶ町、

 南部十六ヶ町、

最終日には三社権現の宮神輿(一之宮、二之宮、三之宮)が

それぞれの町内を渡御するのです、

しかし、この最終日の宮神輿宮出し・宮入りはとてもじゃないけれど

傍に寄ることもできませんよ、もうみんな殺気だっているのですからね、

作年あたりからはどうやら宮出しは地元で出すように手打ちがされたようですが

はたして無事三之宮までうまくいくかどうかはやってみなければ

わかりませんですよ、

こども、年寄りは危険な宮神輿には近寄らず、百基余の神輿を担ぎまわる

中日の町内連合渡御がいいですよ、

それよりもっと近くで楽しめるのが、初日の宵宮に行われる六ケ町連合渡御

なんです、

夕方の五時過ぎると、

 浅草西(今年の年番)、浅一三栄、浅草東、仲見世、浅草公園、浅草中央の

六ケ町の神輿が各町内に揃う、

一年待った祭り好きが集まってきます、みんな気心の知れた町内の馴染みばかり、

普段は商売に明け暮れておりますが、祭りとなると親近感がわくのですよ、

そりゃ、幼馴染が大勢いるのですからのんびりとした雰囲気がたまらなくいいのです、

若衆頭の木の音に手打ちが済むと神輿があがる、

今年は浅一 三栄町会さんにお邪魔いたします、

最初に神輿担ぎに肩を入れたのは、もう年寄り組になろうかという面々ですよ、

頭はもう真っ白になっちまいましたが、気合だけはまだ若い者にゃ負けネイ と

ばかりに担ぎ出してたものの、ひとつ目の角をまがる頃には、若者に交代要請、

若衆連も毎度のことなのでニコニコしながら早めの交代が始まりますよ。

気分も晴れやかな年寄り連が今度は周りから囃子立てる

のですな、年寄りの特権ってわけ、この和気藹々がたまらなくいいのですよ。

宮神輿じゃ、こんな優しさはありませんからね。

各町内を出輿した神輿は、あやめ連のキレイどころの祭り囃子に迎えられて

公会堂前に勢ぞろい、各町内の役員さんが居並ぶ前で、当番町の会長さんの御挨拶、

揃っての手打ちが決まると、いよいよ薄宵の中、六ケ町連合渡御の始まりです、

すしや通り、食通街、浅草中央通り、伝法院通りなどを約三時間ほどの神輿渡御ですが、

アーケードを通ると、掛け声が響き渡るため、急に元気が出るようで、

お囃子にのって、「ソリャ! ソリャ!」の掛け声が響き渡るのです。

(菊岡社中の居囃子)

夜の帳がおり始めると、神輿に灯りがともります、

いつも立花香取神社の里神楽を見せていただいている 

菊岡社中の見事な祭り囃子が流れる中、いよいよ佳境に入った

神輿が揺れる、

まだ三社祭は始まったばかり、あんまり気合を入れると、

あと二日ある祭りを最後までできるかちょっと心配になるほどの神輿振りです、

やっぱり神輿を担ぐと、明日、明後日に力を残しておこう などとは

思い至らないのですよ、それが祭りというものですよね。

そういうアタシもあと二日身体が持つかしらね・・・