時代がどんなに変わろうと、

人が何十代に渡って

伝え続けてきたものの中に、

これだけはどんなことがあろうと

譲れないことがある。

『祭り』とは

そういうものなのです。

父は祖父の姿の中に それ を知った、

それ とは、当たり前だと思っていた中に

何気なく隠れているのです。

母は何をすべきかを、祖母の姿の中に

教えられていた、

『祭り』とは神輿を担いで騒ぐだけではない、

人間が生きるために何をするのかを知らぬ間に

身につけさせてくれるのです。

目に見えないものなのに、言葉で表せないものなのに

みんな、しっかりと受け取っているのです。

父は子に、母は娘に、自分の姿を通して伝えて

いるのですね。

下町の男たちは、祭り囃子が鳴り響くと、

身体が自然に反応してしまうのです、

若頭の拍子木の合図で一本締めが決まると

「そりゃ!」

の掛け声で神輿が上がった。

さあ、もう止まらないよ、

身体の中から湧き上がってくる熱気を

誰が止められるというのか・・・

『祭り』には夫々の決められた役分という

ものがある、

お囃子の笛を吹く若者の真剣な眼差しに

きちんと伝えるべきものが伝わっていく

実感をみる。

爺様も婆様も、

親父もお袋も、

青年も子供等も

みんなきちんと

役が決められている、

もしかしたら、

『祭り』は壮大な野外劇だったのですよ。

ビルの谷間に響き渡る歓声が何時までも

聞こえていた夏祭りの宵のこと。