昭和20年3月10日の東京大空襲で向島一体も焼け野原に

なってしまった、それから三年、当時の向島をあの

荷風散人は「断腸亭日乗」にこう記している。

 「昭和二十三年一月十日。晴。暖。来訪者を避けむとて
  午下市川駅前より発する上野行のバスに乗り浅草雷門に至る。 
  歩みて言問橋をわたり白髭に至る。白髭神社蓮華寺共に焼けず。
  外祖父毅堂先生の碑無事に立てるを見る。地蔵坂下より秋葉神社前に
  出る横町にもと玉の井の娼家移転せり。この辺も焼けざりしが如し。
  向嶋は災を免れし処随分あるやうなり。言問橋際電車通の片側また
  吾妻橋東詰にも瓦屋根の二階ところどころに残れるを見る。
  羅災の如何は一々実地について調査するに非らざれば知り難し。 
  秋葉社前にて金町行バスの来るに蓬ひ之に乗る。途中乗客雑沓して
  下ること能はず金町に至り京成電車に乗りかへ四時頃家にかへる。…」

これは通称鳩の街と云われた寺島町を記したものですが、

あれから約70年後、今もその名を残した街筋が密やかに息づいているのです。

向島は浅草の隣街、と云っても地続きじゃ

行かれないのでして、

隅田の川風に吹かれながら橋を渡って行くと、

なにやら異界の散歩をする気分になるのですよ。

今時分の空っ風は骨の髄まで染み透るほどの冷たさ

「何もこんな日に散歩もないだろうに」

なんておふくろの声が聞こえそうじゃありませんかね。

ところが、桜橋を渡ってその路地に入り込むと、

風は全く感じないのですよ。

路地ってのは、こんな優しい一面があるわけで、

急に元気になって、歩きに力が入ろうというものですよ。

『鳩の街通り商店街』は昭和3年から続く昔からの

下町商店街、しかし終戦後、焼け残ったこの界隈に

全焼してしまった玉の井からこちらに移住してきた人々は、

警察庁指導によりカフェー街としてカラフルなタイル張りの家が

軒を連ねていた原色の街に激変してしまったのです、

それも今は昔の話し、『鳩の街通り商店街』はまた昔の姿に

戻って生き続けているのですよ。、

それでも、店はかつての賑わいもなく、シャッターが降りた

無人店が淋しさを漂わせているのです、

「これじゃ希望も何も無いじゃないですか」

立ち止まった辻の角でふっと目線を向けると、路地いっぱいに

新タワーがデーンとその姿を現している。

「うーん、これ以上の違和感はないな」

でも、この景観はもしかしたら新しい息吹をはるか彼方上空から

下町に吹き込んでくれているのかな、

「上を向きなよ!」とでも云うようにね。

路地の一角でなにやら店内改装中の二人の若い女性に会う、

新たにここで自分たちの夢を実現するのだと、目を輝かせていた。

どうやら時代は若者達に下町をもう一度活気ある街にしようという

機運が高まっているらしい、

お金儲けだけのために働くのではなく、

人とかかわり、人と向き合えながらゆっくりと生きていく

そんな生き方があってもいいじゃないか そう考える人が

一人、また一人、下町に移住し始めているのですね。

真新しい「鈴木荘」の看板

お尋ねすると、

鳩の街通り商店街振興組合が全6室の空きアパート「鈴木荘」を

一括して借り上げ、

それを起業ビジネスや店舗など、3年間の期間限定で利用者に

運営してもらうというもの、

レザークラフト&イラスト、陶芸、現代アート、さしものなど、

ものづくり系・アート系のアトリエ兼ショップが2008年6月に

オープン今もその営業が続けられているという。

自分たちもその街の住人になってここをふるさとにする若い人々が

始めたカフェがあると聞いて早速お寄りしてみました、

間違わないでくださいよ昔のカフェーではありませんからね、

 『アート&カフェこぐま』

たしか昔薬局だった店をカフェに替えて、2006年11月にオープンしていたのに、

前を何度通りながら、あまりに街に溶け込んでいて、いつも素通りばかり

していたんですよ。

店内は、最近、谷中、千住、向島あたりに同じような店が出来はじめて

いますので、それほど驚きはありませんでしたが、一番気に入ったのは

壁際の書庫に並んだ古書、

要するに古書店&カフェ、気に入った古書は定価の半額で購入でき、

購入したばかりの古書をゆっくり読みながら珈琲を楽しめるという

アタシにとってはまさに散歩の途中のお休み処のような店なのですよ。

懐かしい学校の椅子と机の並ぶ店内は、アラジンのストーブの温かさが

心地よい空間です、

会話より読書を楽しめる店は、はたしてどんな人々を繋ぎながら

文化を発信していくのか、

そのうち、

「青山、六本木ですか、あああの田舎街ですね」

なんて会話が起こりそうな気配が漂う下町若者文化発祥の街に

なったら面白いですね。

街はそこに住む住人次第でどうにでも変わっていけるのですからね。

向島 『鳩の街通り商店街』

これは2010年2月8日の旅の途中に記したものです、

あれから10年、今も散歩の途中にこの狭い商店街を歩いてみるのです。

実はこの狭い通りは6月のお祭りになるとね、はっきりと

区別した様子が見られるのです。

向島5丁目は白鬚神社の氏子、東向島の人々は高木神社の祭り

に向かうのです。

大人は勿論ですが、子供たちも祭りの期間はそれぞれ別行動

をとるのです。

同じ学校へ通っていても、祭りになると昔の仕来りが顔を

出す様子を見ていると、庶民の原点は 祭りによってはっきり

区別しているのです。

行政が決めた地域より、祭りの氏子の区別が今も優先されている

ことを知ると、日本人の生き方には祭りが大きな意味を持って

いるということを知るでしょう。