「記憶」とは、と大上段に構えられてもアタシは学者でも

心理学者でもありませんので、説明など出来ません、

ただ、人間の持つ記憶に興味を持っているだけなのです。

例えば自動車を運転している時、どんな行動をとっているのか、

情報は視覚からのものが大半ですが、聴覚も大事な要素です、

それぞれの感覚から脳に運ばれた情報は、瞬時にして取捨選択され

次なる行動を手足に伝えることで、自動車という便利な乗り物を

操作しているのです。

運転中、気に入った音楽を聴きながら走行していると、

とても気分がいいのですが、その音楽の内容は聞き終わっても

覚えていないのです、要するに今必要とされない情報は

知らぬ間に記憶の装置から外されていくのですね、

それを感覚記憶というのだとか、

感覚記憶は1~2秒で記憶から消えてしまうのだそうですよ。

せっかく記憶したのならもう少し留まっていて欲しいと願っても、

時間の経過とともに忘却されてしまう記憶を短期記憶と分類されて

いるのだそうで、これもそんない必要じゃないと無意識に脳が判断して

いるのかもしれませんね。

たとえば、自動車を止めて鍵をかける動作は、何度も何度も降りるたびに

繰り返しているので、脳に留まらないのだそうで、自動車を離れて

「あれ、鍵掛けたかな」

と戻って確認することがありませんか、多分、何時も同じ行動を繰り返して

いると、どうやら記憶の引き出しに入れる前に消えてしまうらしいのですよ。

さて、最も楽しいのは50年も前の記憶が何かの拍子にひょっこりと

顔をだすように現れるのです、これを長期間記憶といって

死ぬまで保持されるのだそうですよ。

二十代の若者にはまだ精々15.6年分の記憶しかないでしょう、

ところが、年を重ね70年、80年と生きてくると、この長期間記憶が

引き出しいっぱいに詰まっているのでして、

そりゃ、何かのきっかけでひょいと現れてくるのですから、

楽しいたらありゃしないですよ。

それにね、記憶というのは、楽しいと思ったことが六割、

どちらでもないことが三割、嫌な記憶はたった一割なんだそうで、

どうりで思い出した記憶は楽しいことばかりとは、

神様も粋な計らいをしてくださるものですよ。

世の中は秋の行楽シーズンといって何処へ行っても人・人・人でしょ、

普段からふらふらと彷徨ってる年寄りは、みなさんのご迷惑に

ならないように、近くの楽しいところを徘徊するのがエチケットだと

わきまえておりますので、記憶の引き出しを探ってみれば

「そうだ、あそこへ行こう」なんていう楽しい記憶はすぐに

見つけられるのでしてね。

路地道、裏道専門に歩いているおかげで、今日みたいに

何にもやることのない日は、鬼姫様をお誘いして

路地の奥のひと目の付かない店で、ジュージューと

お好み焼きなんてってのはいかがですかね、

両手にヘラを持って、ひょいと裏返ししながら広島風お好み焼きを

焼いてみれば、も何十年も前に訪ねた広島の旅が蘇ってくるのでして、

焼きあがったお好み焼きを頬張りながら、つい昔話に華が咲くので

ございます。