「鷲の棲む深山には、概ての鳥は棲むものか、

同じき源氏と申せども、八幡太郎は恐ろしや」

(白河法皇・「梁塵秘抄」より)

後の世に白河法皇にまで恐れられた源義家が

奥州遠征の途上、戦勝祈願をしたと伝わる神社が

茨城県内にいくつも残っている。

つくば市の八巻神社、

現在「平三坊」の祭で有名なかすみがうら市の鹿島神社等

ここかすみがうら市に昔から

四万騎ケ原(しまきがはら)と呼ばれている広大で肥沃な

農地がある。

源義家が奥州遠征の途上、この地で常陸で徴用した兵を

訓練したという伝説が残っている土地である。

その徴用した数四万騎に因んで今も四万騎ケ原と呼ばれている。

「東京の千疋屋さんが別格扱いする

栗を作っている農場があるの」

先日お邪魔したO先生が話しの中で教えてくださった

その栗農場が気になって仕方がありませんでしてね、

地理に疎いO先生の案内ではどうも要領が得ず、

その農場の名をお聞きしてメモしてまいりまし。

八郷だったと思うという唯一の手がかりを頼りに八郷で訪ねると

「ああ、四万騎さんは隣のかすみがうら市

(かつては千代田村、最近合併して新しく誕生した市)だよ」

と親切丁寧に教えていただいた。

初めて出会った人がすらすらとわかるほど

この辺りでは名の通った農場なのでしょう。

気づかないほど小さな看板に『四万騎農園』とある。

案内を乞おうにも人影がない、恐る恐る中へと車を走らせると

車など自転車ほどにしか感じられない広大な農地が

広がっておりましてね、

エンジンの音に作業場の屋根の上で修理していた若い方が

降りて来てくださった。

どうやらこの農場の若主人らしい、その丁寧な応対と言葉使いに

この農場がただならぬ場所であることを感じさせられるのでした。

「幕末頃から曽祖父がこの地を開墾しまして、豊かな土壌が

栗の栽培に適していることが判り、それから栗の栽培一途に

やってまいりました、

今は栗の苗木と栗を加工したマロン・ジャム、ふくめ煮、渋皮煮を

作っております。よろしかったら味見をしてみてください。」

その美味しさに度肝を抜かれましてね、これは正真正銘の日本一の栗

に違いありませんよ。

お話を伺うと、栗は年たつと木が大きくなりすぎて、

実がならなくなるので木を剪定することが大事なんです、

それと、木と木の間を広く取ることで土地の養分を十分に

栗の実に与えることができるのだそうですが、

経済優先の考え方ではこのようなゆったりした農法はとても

やれることではないでしょうね。

最上級の栗の実を作り出すために、ありとあらゆる方法を

考え出した結果が現在の何処にも出来ない栗の生産に結び

ついたのでしょうが、

よほど志を高く持ち続けていなければ挫折してしまうに違いありません。

四代に渡って、まったく当たり前のように作り続けられている

『四万騎農園』の存在そのものが奇跡と呼ばれるべきこと

なのかもしれません。

広大な農園には大谷石の石倉があり、若主人の案内で見せて

いただきました。

多くの芸術家の古典が開かれたり、時には小さなコンサートが

開かれることがあるのだとその時だけ笑顔で答えてくださるのでした。

あまりの居心地の良さに農園を歩いていると、

いつしか西の空が色づいてまいりました。

母屋の前にある欅の大株から何度も芽を出してくるという細い枝が

天に届けとばかりに聳え立っている、多分樹齢は数百年と思われる

その欅の大樹もまるで庭木の一部に感じられるほどの広大な農園を

見つめながら本物とは何かを想う旅の途中です。

勿論、その日本一の栗で作られた

マロン・ジャムを手にしておりましたがね・・・

旧千代田村 『四万騎農園』にて