「もしも・・・」ということが許されるなら

人生は苦ばかりではないと思えるかもしれない。

今回は

「もしあの時・・・」

だったらこんな素晴らしいことに

出会えなかったかもしれないというお話です。

夕暮れの岩槻へ向かう街道はうんざりするほどの渋滞で

まるで時が止まってしまったようでした。

車の渋滞ってヤツはイヤになったからといって

その場に車を放置して逃げ出すわけにもいかず

唯々じっと待つだけの実に精神には負担だけを

与えるものでしてね、

老人達がのんびり歩いて車の横を通りすぎていく、

何気なく見ているとその老人達はその先の道を曲がっていった、

その後から来た二人連れも同じ道を曲がっていくのです、

「はてな、あの人たちは何処へいくんだろう」

何もすることのない渋滞にはまったドライバーは妙に好奇心を

刺激されたのです。

気づいた時は、何の目的もないのにその道へとハンドルを

切っておりました。

その時、目の前に満開の桜が飛び込んできたんです。

「ワーッ!なんだこの満開の桜は・・・」

先程の老人達の後ろから桜の旅人に成りすましたオヤジが

ニコニコしながら歩いているのはご想像の通りです、

だらだらと下りの道は年寄りには優しいのです、

まるで引き込まれるように山門の前に立つとそこは

桜に囲まれた 密蔵院というお寺さんでしてね。

不思議なことに、これだけの桜に包まれているのに

人の気配がしないのです。

「もしかしたら、地図にもない場所に紛れこんでしまったのかな」

そんな気がするほどの静寂な刻のなかに佇んでいるのです。

「ゴーン!」

突然、鐘の響きが辺りの空気を震わせました、

その鐘楼へ近づくと、寺守りの老人が身体をあずけるように

鐘を突いているんです、

それは作務というより、想いの丈を込めて打ち鳴らしているように

感じるほど殷々とした音を響かせているのです。

じっと聞き入っていると、その寺守りの老人が手招きするんです、

辺りを見廻してもそこにいるのは私だけですから、呼ばれているのは

この自分なのだとすぐに判りましたよ。

鐘楼の階段を登ってその老人のそばに行くと

「鐘の音が消えるんじゃ」

何を言っているのか首を傾げていると、どうやらその梵鐘の真ん中に

立ってみなさいということらしい、言われるままにその真ん中に立つと

丁度私の頭がひとつ梵鐘の中に隠れる高さでしてね、

私は鐘のなかからその老人と対面する姿勢で待っていると

「それでは」

と合掌を終えると、やにわに撞木を振ると何の手加減もなく

先程と同じ全体重をかけて

「ゴーン!」

一瞬、頭が粉々に砕けたかった思うほどの衝撃ですよ、

何しろ生まれて初めての体験を何の心構えもなくいきなりですからね、

老人は、ぼーっと突っ立っている私に、少しづつ身体の位置を動かして

みなさいと話しかけるが、鐘の殷々と響く余韻が駆け巡ってむやみに

足位置を変えているうちに、その鐘の余韻が消えたんです、

それは、そのまま梵鐘の中に吸い込まれていくような不思議な瞬間でした。

呆然として梵鐘の中から這い出てくると

「消えたかね・・・」

私は黙って頷きました。

「ところで、この境内の桜はもう満開ですが、何という桜なのですか」

「ここでは『安行桜』と呼んでおります、お彼岸の頃に満開になるのです」

夕暮れがそれでなくても紅の花をなお一層濃色に染め始めます。

もしかしたら、この密蔵院もあの老人も この世のことではなかったのでは・・・

「もし渋滞に巻き込まれなかったら・・・」

「もし老人達が曲がっていった路地に気づかなかったら・・・」

人生には、「もし・・・」が実際にあるから楽しいのかもしれませんよ、

その「もし・・・」をどのように自分に引き込むか

それは貴方の好奇心かもしれませんがね、

まだ頭の中を鐘の音が響いている桜旅の途中です。