もう何処にも冬の欠片は残っておりません。
日々の生活に追われている人の思惑などとは無関係に
季節は音もなく次の舞台へと移り変わっていたのですね。
毎朝通り過ぎる公園の水辺には、芽吹きの淡き春が
漂い始めている。
何時もより少しだけ早起きした分だけ、その淡い光の中を
歩くことができるのです。
たとえ一瞬でもこの淡き光を浴びた者は、
きっとこころ穏やかに過ごすことができるに違いないと
まるで呪文のように呟いてみる。
「春はいいなー・・・」
年々春が待ち遠しいのはそれだけ老いた証なのだろうか、
古人達が、待ちに待った春を迎えた気持ちを歌に託した気分を
少しだけ味わえそうな気分の朝です。
昨年の同じ季節に偶然立ち寄った小さな寺の境内で
若い住職夫人が数ある石仏に花を捧げていた。
「お早うございます、いつも綺麗にされておりますね」
「美しくしておくことは心の浄化につながる気がするので・・・」
「桜ですか」
「ええ、お彼岸の頃に必ず咲き始めるのです」
「もしかしたら、人の想いのこもった花なのかもしれませんね」
春の風がその細い花の枝を震わせていった。
まもなく春爛漫の桜が辺りを華やかに染め始めることでしょう、
桜並木の下でその膨らみ始めた蕾をそっと撫ぜてみる、
何時開花して、何時満開になるか などということは
そんなに大事なことのようには思えなかった、
咲いたら、その花の下に行けばいい、
散っていたら、そのその蘂に感謝を伝えればいい、
桜は人の思惑の為に咲いているわけではないのだから・・・
最近のコメント