初めて聴く櫻でした、

何度も路を尋ね、迷いに迷ってやっと辿り着いた櫻でした。

その枝振りの美しさとは裏腹に花は三分ほど、

ほとんど見る人の居ないことが納得でした、

朝日に輝くその姿態を右から左から何度も見つめていると、

よほど櫻好きと思ったのでしょうか

「まだ、これからだよ」

その老人はさくら色のジャンパーを着てじっと櫻を見守っていたのです。

「いい櫻ですね」

「いいでしょ、あたしは子供の時からずーっとこの櫻を見て育ったんです、

 350年くらいは生きているんですが、お寺さんが火事になった時に古文書も

 焼けてしまって確かなことは判らんのですよ」

三年前に痩せてしまったこの櫻をもう一度何とかしたくて、土を入れ替え

根を踏まれないように囲いをしたとのこと、

「三年で何とか息を吹き返してくれたんです、うれしくてね」

Tさんは何度も頷いていた。

それから三日後、再び訪ねました、

「また来たのかね」

Tさんは相も変わらず櫻の傍でじっと見守っているのです。

「三日で随分咲きましたね」

「この櫻はね、北側から咲いていくんですよ」

それは南を向いた本堂に一番美しい姿を見せるように北向きの櫻なのです。

そして更に三日後、

Tさんは相も変わらずさくら色のジャンパー姿で今日も櫻を見守っています。

「おれ、金も力も無いけどさ、この櫻だけは

  子供達に残してやりたいと願っているんだよ」

少しはにかんだようにそう呟いた。

「あの櫻はきっと全てわかっていますよ」

Tさんは何度も頷いていた朝の櫻の眩しい日のこと・・・

あの日から七年目、其のとき出会ったTさんは、

「毎日、この桜を見るのが嬉しくてね」

子供の頃からこの桜を見ながら育ってきたからこの桜は

勇気や希望や夢を与え続けてくれたのだと話してくださった。

あの日以来、私も桜が咲くと何度もこの桜を訪ねているんですが、

あれ以来、Tさんには会うことが出来ないでいるんです。

「この桜だけは次の子供達に何とか残したい」

と呟いていた言葉が今でも耳元でささやくのです。

毎年、「どうしたんだろう」

病気なのか、それとも・・・

春の朝にしては抜けるような青空です、

今日を外したらあの桜の本性を見られないかもしれない、

そう思うと朝食も取らずに駆けつけたのです。

ああ、なんという美しさだろう、

風もない朝の空気のなかで、桜は静かにあり続けているのです。

やはり、Tさんの姿はありませんでした。

Tさんならこの満開の桜を見に来ないはずはありません、

其のとき、三百五十年の風雪に耐えてきた大樹の陰にちらりと人影が

見えた、

桜色のジャンパー姿、

Tさん!

桜の周りをぐるりとまわって傍にいってもそこには誰もいない、

もしかしたら、あの日の出会いも、幻だったのだろうか、

ならば、桜が結んでくれた幻でもいい、

この桜が咲くごとに、会うことが出来るなら

それが、桜の本性として受け入れればいい、

きっとTさんも必ずどこからかこの桜を見上げて

いるのだから、

初めて満開の花をつけた桜を見上げている七年目の朝のこと。