湯元の古寺で静寂の刻を感じたあと再びハンドルを握る、

海抜1,100mの高みまで、その道はほとんど

直線を繋ぎ合わせたように一気に登りつめて行く。

陽が落ちる前にその高みまでたどり着くには

この道を選ぶしかない。

走っていても面白みの無い道である、特にパワーの

ない車にとってはストレスばかりたまって精神的に

開放されないのでありますよ。

昔ならパワー全開にして登り切ったその道を走る車は

他には無い、

窓を開けクーラーを切りハーフスロットルで二番目の

カーブを曲がって行ったとき、先ほどからかすかに

聞こえていた咆哮が直ぐ後ろに迫っていることに

気づきバックミラーに目をやると、ミラーいっぱいに

AMGの2シーターがぴったりと追従していた。

昔なら一気に加速に移るであったろうそのシチュエーション

に躊躇をしたのは歳のせいかもしれない、

ステアリングを少し山側に寄せると「抜いていいぞ」と

合図を送った。

400馬力をゆうに越すその2シーターは私の車の脇を

弾き飛ばすような一気の加速で追い越していった。

そして軽く左手で感謝の合図を送り返したそのドライヴァーは

首に巻いたエルメスをなびかせて次の130Rをアンダーの挙動を

起こさせずに曲がりきるとそのまま高みに向かって走り去っていった。

「女性だったのか・・・」

その時、昔同じようなシーンがあったことを思い出しておりました。

あれは、そう東京オリンピックのあとのこの国が何だかむやみやたらに元気に

なり始め、それでもまだこの国のモータースポーツが黎明期だった頃のこと、

明けても暮れてもステアリングを握り、出来たばかりのサーキットを

走り回っていた時のことなんです。

一周3.1kmのテクニカルコースは短い直線の後、ソックスの形をした複雑な

カーブが待ち受けている、直線の終わりのブレーキングが勝負を決める

ポイントになることは参加してくる選手達はみんな心得ており、

そのブレーキングポイントでのスピードの限界を身体に覚えこませるために

何度も走っては確認することが練習の主眼に置かれていたのです。

その日の練習走行タイムがそろそろ終わりになりかけた最後の一周で

そのことが起こったのです。

その直線に入る90Rのファーストカーブを今までに無くスムースに抜け

アクセルを全開にして一気に加速し始めた時、バックミラーにあの2シータの

ホンダS600がピッタリと追従しているのです。

「ちょうどいい相手だ!」

と直線を走り抜けていると、そのS600は右から並びかけ併走のままソックスカーブ

めがけて突っ込み始めたのです。

あれほど練習を積んで自信を持っていたブレーキングポイントに一瞬の

狂いを生じたのは、そのS600のドライバーの存在だったのです、

ちらっと横目で見たヘルメットの中のその横顔には真っ赤な口紅が塗られて

おりましてね、

「女性か!」

その一瞬の躊躇が見事に抜かれた後、ステアリングの

操作ミスにつながり、コースアウトの後、見事な転倒という結果に

おのれの不甲斐なさに唇を噛んだのでした。

彼女は其の当時では珍しい女性レーシングドライバーで

彼女のテールランプを追いかけて転倒した仲間が四人もいた

伝説の女神だったのです。

あれから40年、まさか先程のエルメスの彼女があの時の女神とは

思えませんが、その見事なアクセルワークにそんな記憶が蘇って

いたのです。

大観山の展望台に車を横付けすると、先程の2シ-ターが

エンジンを止めておりましてね、

車を降りると

「先程は失礼いたしました」

「あのモンスターマシーンを手なずけるとは只者ではありませんね」

そんな会話が風に吹かれながら始まったというわけでしてね。

どんな会話をしたのかですか?

それは内緒ですよ・・・

車の旅でも楽しい出会いがあるものですな・・・