エゴの木は典型的な雑木林の花

「家を有つなら草葺の家、

而して一反でも可、己が自由になる土を有ちたい」

『みみずのたはこと』 徳冨健次郎

人の人生ほど諸行無常なものはない、

日々の生活の中で変わらないと思っていた日常も、

過ぎ去ってみれば同じ日は二度とないのです。

自分自身の生き方は中々冷静には見極められないのですが、

これが、著名な人のこととなると案外見えないものまで

見えてくる気がするのです。

肥後国(熊本)で生まれた徳冨健次郎(蘆花)は

学生時代を京都で学び、東京に出て自然詩人として出発し、

作家として身を立てる、

40歳で北多摩郡千歳村字粕谷に転居、人生の後半を

自然主義の実践を、

農業を続けることで身をもって行ったのです。

昭和2年、旅を愛した蘆花は人生の最期を伊香保温泉で

兄蘇峰と再会和解し

「後のことは頼む」と遺言し亡くなったという。

享年満58歳。

熊本、京都、逗子、東京青山、伊香保と蘆花との

縁のある地を訪ねるというのは旅を愛する者には

なにか親近感をもたらせるもので、

小説家蘆花とともに、旅人蘆花としての顔を垣間見ることが

できたことで蘆花の人生を見つめ直しているのかもしれません。

雨にけぶる中を訪ねたのは、蘆花が終の棲家と定めた

旧北多摩郡千歳村字粕谷、

蘆花が晩年の20年を過ごした旧家は今も『蘆花恒春園』として

残されているのです。

鬱蒼と茂る雑木林の中にエゴの木の花を見つける、

「ああ、もう夏ですね」

「家を有つなら草葺の家、

而して一反でも可、己が自由になる土を有ちたい」
    
『みみずのたはこと』の中で蘆花が記したとおりの藁葺き屋根の旧宅は

そのまま残されている、

晴耕雨読の生活は『みみずのたはこと』の中に克明に記されているので

興味のある方はご一読を。

蘆花記念館で彼が愛した遺品の中に一台のカメラを見つける、

蘆花は恒春園に移ってからは、妻の影響でスケッチ画を多く残して

いるのですが、カメラにも興味を持っていたことに余計親近感を

覚えてしまいました、そこに記された説明文には

「・・・しかしほとんどの写真がピンボケでした」

誰もいない記念館の中でひとりホクソエンデおりましたよ。

『地蔵様が欲しいと云ってたら、甲州街道の植木なぞ扱う男が、
荷車にのせて来て、庭の三本松の蔭に南向きに据えてくれた。
八王子の在)、高尾山下浅川附近の古い由緒ある農家の墓地
から買って来た六地蔵の一体だと云う。眼を半眼に開いて、
合掌してござる』と『みみずのたはこと』に記したあの地蔵尊も
庭の三本松の陰にそのまま据えられている、

蘆花が書斎にしていた秋水書院は大逆事件の幸徳秋水を
擁護したことから名づけたのだろう、

南画家好んで描いたという梅花書屋(ばいかしょおく)は
そのまま絵になる建物でありますね。

蘆花がタケノコが売り物になると始めた竹林は今も
美しいままです。

蘆花が残したのは、武蔵野の自然だけではない、

「人間は書物のみでは悪魔に、労働のみでは獣になる」

書斎の中からそんな声が聞こえた気がした、

橡林のの中にひっそりと蘆花夫妻の墓所がある、

そっと手を合わせる雨の散歩の途中のこと。