「君さらず 袖しが浦に立つ波の

その面影をみるぞ悲しき」 

倭建命伝説を色濃く残す房総の地で、

地名由来の美しさでは袖ヶ浦とともに

このキサラズ(木更津)は

ことのほか浪漫を感じずにはいられないのです。

倭建命が上総国に渡る場面での弟橘姫の献身と

愛する者を失った倭建命の慟哭の涙を感じるには

この港が一番ふさわしいかも知れない。

倭建命が無事この地に渡り終えた時、必ずその渡って

来た海を振り返ったはずである、その時に見えていたのは

多分嵐の後に必ず現れる美しい夕焼けではなかったのだろうか。

今は鉄の船が海を行き来し、鉄の橋が海を跨いでいる。

この橋を渡って来れたら、弟橘姫も命を落とすことは

無かっただろうに、

でも、もしそうだったらこんな美しい伝説も残ることは

無かったし、美しいきものの袖が流れ着くこともない

ことになる、

倭建命も慟哭の涙を流すこともなく

「アズマハヤ!」とも

「キミサラズ・・・」

ともつぶやくこともない、

袖ヶ浦も木更津の地名も無かったことになる

そんな伝説を千数百年に渡って伝え続けてきたのは

誰だったのでしょうか

かつてこの国には身分階級が歴然として残されておりました。

士農工商、しかし海に生業を求める人々はこの身分制度からも

外されていたのです、一所不在の漂白の民として・・・

しかし、その語られることの無かった水上民達は、ある時は

水軍として、ある時は文化の伝達者として、この国の歴史に

深くかかわってきた事実をもっと知られるべきではないで

しょうかね。

各地の港を訪ねる度に、そのことを深く感じてしまうのです。

それは岬、港、そして海を巡るたびにそこに生きてきた人々への

郷愁となって伝わってくるからかもしれません。

この国はぐるりは全て海に囲まれているのです、山と海に挟まれた

僅かな平地だけが文化や文明の全てではないことを、旅を続けて

いると感じないわけにはいかないのです。

どうやらアタシの旅はますます辺境の地に向かっていきそうな

気配が漂い始めております。

この目で、この耳で、この肌で、何が見えてくるのか・・・

キミサラズ の港でふと思う旅の途中です。

房総 木更津港にて