すっかり早起きが身についてしまったのは、梅雨を忘れた

夏の陽射しのお陰ですかね。

誰も止められないまま過ぎていってしまう時間を

こちらの都合で捕まえようってんですから、

そりゃ早起きでもしなけりゃ追いつきや

しないですよね。

若い時は、寝たいだけ寝てたことを思うと、同じ人間の

人生とは思えないくらい早起き爺に変身した旅のおじさんは、

先が見えてくるとやらなくていいことを始めたり、

過ぎていく時間を追いかけたくなるものなんですね、

だから、息子や娘がグダグダ時間を過ごしているからって

心配するこたーないですよ。

アタシだってこうして正しい爺になれたじゃないですかね。

そのうち人間に与えられた時間は有限なんだと気が付けば

自ら動き出すに違いないですからね。

先が見えてくるというのは、そのゴールが見えてくるということで

恋にうつつを抜かしたり、

人を蹴落としてでも成功を勝ち取ろうとしたり、

つまらないことに腹を立てたり、

まあ、どんなに人に差をつけて、

あたしの方が優秀な人生を手に入れた

と思っても所詮そんなことは自己満足の範疇でしてね、

人生のゴールでは、それはこの世とのおさらばを言うのですが、

いくら人と競ったって何の差も生じはしないでしょ、

そんなことが見えてくると、世の中の見方も変わらないはずが

ありませんですよ。

朝の清々しい光を浴びた美しい花に囲まれて

そういう人生を考えて見るのもまた、残された時間の中で

思い描く将来と、日々の生き様とのギャップを知る

いい機会なのかもしれませんですよ。

今、朝の散歩にはとても美しい処があるのですが、

ちょっと時間を間違えると人を見るだけ

なんてーことになるのは覚悟の上で出かけてみるのも

それはそれなりに当て物を探す気分で楽しいものなんですがね。

美しいモノを求める気持は誰でもが同じ想いになるのは当たり前の

ことですものね、

紫陽花の花が埋め尽くす庭をのんびり歩くには、許された時間は

朝のほんの一瞬だけ、

「しめしめ、まだ誰もおりませんよ」

とひとり悦にいっているおじさんは、まだ人と競う気持ちが

横溢しているのですから、若い証拠なんですかね。

俳句のひとつも捻り出せればもう言うことなしなんですが、

ぼーっと立っているなんてもったいないという気が先に

立ってしまうあたりは修行が足りないというか、

ガサツというか、

性格とというのは歳を重ねれば変わるというものでもないのですね。

あっちの隅から眺めると構図がどうのとか、

こっちからの方が美しい光が捕まえられるとか

まあ、写真を写すことになると冷静さがなくなるのは

悲しい性(さが)でございます。

あっちこっち歩き回っているうちにへとへとに疲れて

ベンチに座ってふと見上げると、そこが一番気持ちが

落ち着く場所だったなんて笑えない話ですよね。

そよそよと吹く風のあまりの心地よさに、動き回った疲れが

重なれば、結果はこっくり、コックリ・・・

どのくらいそのベンチに座っていたのでしょうか、

目を開くと、そこはもう別世界、

人、人、人で溢れ返っているじゃないですか。

アタシはここでは邪魔者に相違なく、あの静かな朝を

そっと仕舞い込んで紫陽花の庭を後にするのでありました。

駅に向かう戻り道には、後から後から押し寄せる人の波、

『早起きは三文の得』

まあ、一両とはいわなかった昔人の感性は正しかったのですよ。

そう 

 早起きは三文くらいの気持ちよさ  散人

あなたも早起きしてみますか・・・