『さてその髷も島田に由井ヶ浜、

  打ち込む浪にしっぽりと

  女に化けた美人局、

  油断のならぬ小娘も小袋坂に身の破れ、

  悪い浮名も竜の口土の牢へも二度三度、

  だんだん越える鳥居数、

 八幡様の氏子にて鎌倉無宿と肩書も、

 島に育ってその名さえ、弁天小僧菊之助』

有名な歌舞伎の演目青砥稿花紅彩画『白波五人男』の一人、

弁天小僧菊之助の名セリフでお馴染みの って 例えが

古すぎましたかね。

まあ、そこまで話を古くするつもりはありませんが、

由比ガ浜というとついアタシの若い頃の昔を思い出して

しまうのですね。

戦後は遠くなりにけり なんて言われ始めた昭和30年代、

夏の遊びといえば、海水浴と相場が決まっておりましてね、

何しろ砂浜が見えないほど人・人・人・・・

何するでもなく砂浜に寝転んで半分火傷みたいになりながら

寝転んでは時間をつぶし、身体が熱くなると海に入って冷やすという

まったく今の若者が見たら何が楽しかったのかわからないでしょうが

それだけで、一日が楽しい気分で居られたのですから、もしかしたら

何もなかったあの頃の方がこころは充実していたのかもしれませんですよ。

葦(よしず)張りの海の家で休むのさえ、お金が勿体無いと

砂だらけの身体を叩いて、流行りだしたばかりのGパン穿いて

そのまま帰ってくるなんてぇのは

当たり前のことでしたがね。

何十年かぶりで夏の由比ガ浜の海を眺めた。

海の家は随分センスのいい造りで、どうやら大人のビーチへと

衣替えしているらしい。

デッキチェアーに腰掛けて手には彩り鮮やかなカクテル、

大きなつばの帽子の下の婦人はなんだか飛びきりの美女に見えてくるから

やっぱりステージつくりは大切な要素なのですね。

浜辺で泳いでいる人は無く、みんなその雰囲気を楽しんでいるのですね。

まさに大人のビーチそのものでしたね。

豊かになったこの国を象徴するような様変わりの浜辺を感慨深く眺める

旅人の目に飛び込んできたのは、昔と変わらぬ漁師の姿、

そうそう、鎌倉ではほとんど知られていないのですが、シラス漁が今も

続いているんです。

ほとんど地元で消費してしまうくらいの漁獲高ですが、その新鮮な味は

ここに来なくては味わえない味でしてね、

海から戻った船を浜に上げると早速一日の仕事の後始末、海で働く男の

顔だけは昔も今も変わってはいないのです。

何だか宝物を見つけた気分でしたね。

やがて沈み行く太陽に切なさを感じるのは真夏の浜辺の

特異な雰囲気でしてね、

一日の熱い太陽に焼かれた身体が夕暮の浜風に吹かれると

帰るには惜しいようなけだるさが漂うのです、

そのけだるさも、やっぱり昔と変わらないのですね、

そんな火照った身体を冷やすかのように、その少女はいつまでも

打ち寄せる波の浜辺に佇んでいた。

その今感じている潮騒がね、後になると夏の思い出としてこころに

焼きつくんですよ。

もう二度とやってはこない青春の欠片を拾うように

老境の旅人は目を細めて海を見つめておりました。

さてと、いつもの店で シラスを食べるか。

人間最後に残るのは 食欲だけだそうですからね。

うーん、でも、それもちょっと寂しいかな・・・

鎌倉由比ガ浜海岸にて、