今年も半年が過ぎていく中で相変わらず 祭り を追いかけて

おりますが、

その祭りの中に身を置いてみると、今まで漠然と感じていた

ことが今年ほどはっきり感じられたことはなかったのです。

言葉に出してみると

「天命を知る」ということ、

天とは天地自然万物の存在を貫く強大なエネルギーである、

決して目で確認できるものではないけれど、確かにこの宇宙を

取り巻いている実感だけは感じられるのです。

その宇宙のエネルギーは、森にも、海にも、草も、虫も、勿論人間にも

すべてその影響を受けないものはないのです。

人間の命など、その宇宙自然のエネルギーの前では風に舞う木の葉ほどの

力もない ということをイヤというほど思い知らされたのが

あの大震災後にも数々の自然災害が頻発しているということなのです。

人の命は、天命であることを思い知らされてみれば、

その目に見えない天の力に逆らうことは出来ないと知らされたのです。

古人たちは、その天のエネレルギーを 神 と位置づけたに違いありません、

その神を敬い、その万分の一でもいい力を押し頂くことができたなら

天命が守られるかもしれない、

「神よ静まれよ」

その願いこそが 祭り そのものだということを

何度も、何度も確認するために、祭りを追いかけてきたに違いないと

しみじみ感じているのです。

三年前の夏、秩父川瀬祭りをお訪ねした折にお聞きしていた

ことを確かめたくて今年の川瀬祭りにやってまいりました。

真っ先にお訪ねしたのは 東町会の御会所、

秩父屋台囃子がすでに打ち鳴らされている屋台庫から

絢爛豪華な屋台が曳き出されるところでした。

すでに祭り衣装を身にまとった大勢の子供達も

勢ぞろいしています。

祭り人たちの魂を奮い立たせる太鼓の音が

彩を増してあたりに響き渡る、

屋台に子供達の囃し役が乗り込む、その周りを固めるのは

大人たちなんです。

その大人たちはみんな裏方に徹して、子供達を前面にひきたたせて

いるのです。

屋台庫から曳き出された屋台はあのギリ廻しで方向転換が目の前で

行われています。

手間と時間を掛けて、全て人の力を持ち寄って屋台を動かしていく作業は

勿論、神に捧げるためのものであると同時に、見守る子供達への

伝承する意味を含んでいるのですね。

笛と振り鐘の合図でいよいよ屋台が動き出しました、

引き綱を握り締めた子供達の元気な声が路地に響き渡ると

「ギギーィ ギギーィ」とあの独特の音が屋台から聞こえてくる、

「ワッショイ ワッショイ!」

「ギギーィ ギギーィ」

団子坂へ向かう四辻で再びギリ廻しが始る、

やがて夏の夕暮れがあたりを覆い始める頃になると屋台の提灯の明かりが

浮き上がってくるのです。

嗚呼!なんと美しい光景なのでしょうか・・・

お花畑駅横の踏み切りが最後の難関なんです、

12月の夜祭りの際は、列車を止めて屋台が通り抜けるために架線を

外すのです、

今宵は東町屋台一台だけなので、列車の運行を見極めるために

しばし休憩です。

団子坂を見上げるといつの間にか大勢の方々が集まっています、

みんなで子供達を見守っているのです、

なんて温かいのでしょうか、

さあ、合図の笛と提灯が振られました、

いよいよ屋台は踏み切りを越えて団子坂下までやってきました、

ここで、屋台の四本の柱にも曳き綱が結ばれ、

子供達に進行担当の頭から細かい注意が飛びます。

「綱を曳き始めたら腰を下げたままだぞ、立ち上がってはダメダ、

 屋台は必ず上がっていく最後まで力を合わせて曳いてくれ」

子供達の顔にさらに緊張が走ります、

「さあ、いくぞ!」

合図の鐘が打ち鳴らされた、

「ワッショイ ワッショイ!」

「ギギーィ ギギーィ」

止まることなく屋台はゆっくりと坂を登っていく、

みんなで力を合わせると、こんなに素晴らしいコトが

可能になることをきっと子供たちも握り締めた綱から

ひしひしと感じ取っているに違いありません。

坂の上に登りきった瞬間、一斉に拍手と歓声があがった。

この川瀬祭りもすでに350年の歴史を刻んでいるといいます、

祭りの持つ意味とはまさに願いを届け、実行することで

確かなモノを感じ取る行為なのだと改めて知った祭りの宵の

ことでございます。

(平成28年7月20日 記す)