祭り行脚もいよいよ最高潮ですよ、それもこの暑さの中、

やる方も大変なら見る方だって命がけですよ。

申し訳ありませんが、体力温存のため夕暮れを待って再び成田の街へ、

成田山新勝寺の祭りというのは、お寺さんなのになぜ、

という疑問がありましたが、

本尊「不動明王」の本地仏である「奥の院大日如来」の祭礼で、

「成田山祇園会」なのです。

かつては、成田山で管理する湯殿山権現社の祭礼として

行われていたらしく、享保時代から300年の歴史を持つ

盛大な夏祭りでもあるのです。

今も、総踊りが新勝寺境内とJR成田駅脇にある湯殿山権現社の

二箇所で行われるのは、そんな由来を大切にしているからなのですね。

まずはいつものうなぎ屋さんで腹ごしらえ、

隣り合わせたのは祭り半纏を粋に着こなしたおやじさん、

話の盛り上がる中でついこん質問を

「何で祭りをやるんですかね」

「そんなこと考えたこともないですよ、夏がきたらみんなで

山車を引き廻すんです、

この街では当たり前のことなんですよ」

祭り人に尋ねるには一番の愚問でした、

そうですよ、祭りをやったからといって

急に金回りが良くなるわけでもなく、

ましてや、仕事を休んで、みんなで寄付集めて、

懐からは出る一方なのに

誰もがみんなニコニコしながら大声あげてるんです、

不思議といえばこれ以上不思議な人間の行動は

ありませんよね。

気温30℃を超える猛暑の中ですよ、大汗かいて、声は枯れ、

みんなで太い綱握り締めて

「エイサ!エイサ!」

って急な坂道を気持ちを合わせて山車を引っ張りあげるのですよ、

無償の行為の代表みたいな行動に、誰も反対するどころか

大喜びするなんて、なぜだか理由なんて思いつきませんですよ。

あの3.11大震災を体験した時、

誰もが整然と他人のために行動する姿を見て、外国人は驚いていた

とニュースは伝えておりましたが、

もしかしたら、日本人は祭りの中で、無償の行為を身体に

染み込ませているのかもしれませんですよ。

世の中の仕組みはね、たったひとりのスーパーマンがいたって

何もできないことを、みんな知ってるんですよ、

普段は酔っ払ってどうしようもないなんて烙印を押されている

オヤジさんが祭りになると頑張っちまうのはなぜですかね、

本人だって答えられない何かを、祭りは知らぬ間に伝えてくれて

いるのですよ。

爺ちゃんから息子へ、そして孫へ、

「いいか、こうやるんだ」

とその姿を見せているだけで何百年も引き継がれていくものなんて

祭り以外にありますかね。

何時もの「薬師堂」前では、若集達の先鋒連が山車の順番を決める話し合いに

喧々囂々、「ああ、いよいよ今年の祭りが始まった!」と

祭りの喧騒の中で、生きていることの感動を貰っておりました。

成田山新勝寺を出発した湯殿山権現社へ渡御する唯一の神輿を

見送ると、いよいよ山車・屋台の曳き廻しが始まります。

一番の見どころは、仲之町の坂を一気に上りきり勇壮な姿なんです、

手児舞姿のかわいい女の子の先導で、長い綱をみんなで引き上げるのです、

「いいか、転んでも綱を離すな」

若者頭の声が飛ぶ、

右に左に太綱が揺れ、子供から大人まで今か今かと若者頭の合図を待つ、

「みんな、外を向け!」

そして出発の合図の笛が響く、

「ソーレ!、エッサ、エッサ!」

一人の力ではびくともしない山車が、沢山の人たちの息を合わせた

力で一気に坂道を登っていく。

そうだよ、みんなで力を合わせることの本当の力を、あの子供たちは

きっと身体で感じ取っているんですよ。

祭り囃子の威勢のいい掛け声が響くとギシギシと山車が坂を上ってくる、

坂の途中で息を整えたところで、若者頭の合図が飛ぶ

「ソーレ!」

もう三日間何度も駆け上がった仲之町の坂道を一気に

駆けがるみんなの顔に大粒の汗が滴り落ちる、

「エッサ! エッサ!」

何時果てるともない時間の向こうで確かに笑い声が聞こえました、

きっと、先人たちも一緒に掛け声かけているんですよ、

「ソーレ! エッサ! エッサ!」」

祭りは理屈なんか考えてる暇も与えてはくれませんですよ、

日本にはね、日本人を知らぬ間に鍛えてくれる「祭り」という不思議が

あるんですよ。

ああ!日本人でヨカッタ!

(2016年7月記す)