毎年八月三十一日の夕刻、越中八尾へ通い続けた、

15年も通い続けたのは、よほどあの踊りと

路地に響く胡弓の音に惹きつけられたのでしょう、

「風の盆」が一度訪ねた旅人を虜にするほど

魅力あることは年々増え続ける人波に顕著に

現れているのですが、

だからと言って、あの『風の盆』が押し寄せる

観光客の前で押しつぶされていく姿を見つめるのも

辛いことでしたね。

自分がその押し寄せる観光客の一人であることに

気づかされた時、

この『風の盆』が八尾という山里無しには成り立たない

ことに思い至ったのです、

九月初めの三日間を外して、

それからは、春夏秋冬夫々の季節に訪ねてみると、

八尾は旅先として十分に魅力ある町であることが

見えてくるのです。

この町があって、初めて『風の盆』が生き続けている

ということがね、

酔芙蓉が八尾の町の花として受け入れられたのは、

あの高橋治著『風の盆恋歌』の影響には違いないけれど、

ある日、九月初めの三日に合わせるように、町中に

この酔芙蓉を咲かせるために、試行錯誤繰り返す人に出会った、

「そこまでやるのですか」

「この町が舞台なんです、本物の酔芙蓉が咲くことで

 あの踊りが引き立つのならやってみる価値はあるでしょ」

やがて、八尾では九月の初めに酔芙蓉が咲くのは当たり前に

なっている。

(この「風の盆」は、金沢の知人がゆっくりと見られるから

 いらっしゃい とお誘いを受けた時の東茶屋街の記憶です。)

その八尾で分けていただいた酔芙蓉が、今は我が家の庭に咲いている、

白から薄紅色に酔っていく花を見ていると、何処からとも無く

胡弓の音色が聞こえてくるのです。

仕事場へ向かう道筋の何軒かの庭に酔芙蓉を見つけると、

そっと聞き耳を立ててしまう、

今は八尾の『風の盆』は酔芙蓉が咲くたびに記憶の中で蘇っている。

(越中八尾おわら 風の盆 ポスター)