東京の街を歩いていると高層ビルが林立し、

空にはジェット機が飛び交い、高速道路を車が行き交う、

すべてが近代科学に裏づけされた環境の中で、人々は

手のひらから離そうとしないスマホから貪欲に情報を

取り続けている。

そこまでしなければ、どうやら安心感を維持できないらしい。

それじゃ、スマホを持たず、携帯電話さえ持たない爺さんは

不安に苛まされているかといえば、全くそんな不安はない、

スマホも携帯電話も無い時代に育った者には、自分の目で、

耳で、鼻で、皮膚で敏感に情報を嗅ぎ取る能力が備わっている

のですよ。

天気予報は今日の状況さえ判ればいいので、空を見上げれば、

「こいつは雨は大丈夫だ」位の判断は出来ますよ。

三日先、一週間先の天気がわかったとしても、明日生きている保証の無い

のが人間ですよ、そんな情報は無駄というものじゃないですかね。

それじゃ、脳天気に何も考えないで生きていけばいいのか、

と開き直れないのも人間というもので、やっぱり不安は感じるものでしてね、

その不安の気持ちを何で晴らそうとするか・・・

情報が多すぎるというのは、もしかしたら、それだけ不安も

多くなること、

そうすると、人間は、どんなに科学的に裏づけされた情報を受けようと、

いや、あまりに確かな情報ばかりに囲まれて生きると、不安に苛まされて

しまうのですよ。

TV,ラジオ、インターネット、スマホ

どれほど多くの情報が流されるのでしょうかね、

でも、それはすべて一方的に流されるだけですから、こちらが受け取らなければ

実に静かな日常が過ごせるということを思い出して欲しいですね、あくまでも

こちらに選択権があることをね。

それで、有り余る情報を省いてみると、実に面白いことに気がつくのですね、

なんだか判らないモノ、言い換えれば、ジンクス、縁起、迷信、俗言なんていう

時には人の心を不安に陥れるかもしれないことに気づいてしまうでしょう。

最近、若者の中に流行だしたパワースポットなんていうのは、なんだかわからない

から興味を持ってしまうのかもしれませんよ。

最初からすべてが判っていることに誰が興味を持ちますか。

アタシ等の子供の頃には、そんな迷信や縁起なんてものがそこら中に

転がっていたんですよ。

大晦日には年越し蕎麦をすすり、

お正月には御屠蘇(若い人はもう知らないでしょ)を飲む、

おみくじで凶を引いたら木の枝に結んでくる、

結婚式は大安にやる、葬式は友引を避ける、

町で霊柩車を見つけたら自分の親指を隠す、

流れ星を見つけたら願いを掛ける、

土用の丑の日には鰻を食べ、お酢を飲むと身体が柔らかくなる、

ホクロは数えると増えてゆくぞ、

テルテル坊主をつるすと晴れるよ・・・

まだまだたくさんありますよ、

訳がわからないから信じてみる、それが迷信というもの、

信じるか信じないかはその人の判断に任されるのですよ、

これを、楽しい、面白いと感じることが出来るとね、

世の中が楽しくなることだけは確かなんですね。

だって、人の嫌がることを穿り返して、自分が優位になる

なんていう考え方は本人以外は誰も喜びやしませんですよね。

あっ そこのあなた、食事してすぐに寝ると丑になっちゃうよ、

ダメダメ、足袋はいたまま寝ちゃ駄目 死んじゃうよ・・・

そうそうまたひとつ思い出してしまいました、

ネコを飼う時はね、年月を決めてから飼う事、

「お前は三年飼ってやる」と宣言するのです、

するとその期限がくると、ネコは自分で姿を消していくのです、

ずーっと飼い続けるとどうなるか、

年老いたネコは尾が二つにわれて、ねこまたという化け猫に

なっちまうのですよ、

信じるか信じないかはあなた次第です。

ねっ!垂れ流しの情報なんて当てに出来ないでしょ、ウフ!