今年も残すところ数日になりました、

あの大震災の起きるちょうど一年前、この冬の海を目の前にして、

「来年は穏やかな年になって欲しい」

と呟いていたのです。

年が明けてみれば、

「えっ!」とか「まさか!」

なんていう驚きの連続でした。

その驚きも時の経つににつれ記憶も薄れ、日々の生活に埋もれて

しまっている。

もう一度同じ海の前に来てみようと思ったのは、

ここが再出発点のような気がしたからなんです。

同じようにここから歩き出してみても、きっと同じ結果には

ならないはず、それは長い旅を続けている中から感じ取った

確信なのです。

人は生きていくために幾多の争いを重ねて生き続けている、

争いのない世を望みながらそれが出来ないもどかしさを

何によって心を納めてきたのだろうか、

人間の力ではどうすることも出来ないことがある、

それは大自然の驚異であり、蔓延する病原菌であり、

生きるになくてはならない食べ物の確保であり、

満たされない心の喪失感なのであります。

そんな脅威にさらされた時、人は想像することで

一時の不安を払いのけたのかもしれない、

そんな想像上の霊獣をかの国中国では

何千年も前にいると信じたのです、

応竜 翼の生えた龍

麒麟 鱗の生えた一角獣

鳳凰 鳥類の大鵬

霊亀 数千年の齢を経た亀

それは人間に幸福を呼ぶ瑞獣だと信じることで

心の安寧を望んだのでしょう。

日本はぐるりを海に囲まれた国、

その海から恵みを受けて生きてきた民は、時にはその海から

猛烈な脅威を受けることになる、

その海には 龍が住むという、

海を鎮めるのも、大暴れさせるのも 龍 の存在無しには

考えられないと感じても何の不思議もないのです。

その龍とは

頭に冠を被り、胴をくねらせる大蛇の姿で現されている、

深海にあるという龍宮に住むと信じられ、水神として

今も信仰の対象でもあるのです。

龍 は人間に危害をおよぼさないと信じられておりますが、

ただ一箇所、のど元に一枚だけ逆さに生えている鱗があり、

その鱗に触られると激昂し、触れた者を即座に殺すという。

その鱗こそ逆鱗(げきりん)であり、「逆鱗に触れる」の語源でもある。

あの年はは、人間が龍の「逆鱗」に触れてしまったのだろうか、

来年はあれから五年目、海の守り神龍神に

どうか人のために静かな日々を過ごさせて欲しいと願うばかりです。

少しずつ沈んでいく今日という日、

嗚呼 何と美しいのだろうか、

多くの人の命を呑み込んだ海、

まるであれは夢の中の出来事ではなかったのかと思いたくなる

その紅いの空、

これまでもどれほど多くの人々がこの美しさに心を

慰められてきたことか、

そう、私は生きています、

いや、生き残されたというべきかもしれない、

ならば生き残された者のやるべき事をもう一度見つめ直そう、

龍の逆鱗に触れないやり方で・・・

房州 布良漁港にて