国の歴史というものは、その時代の勝者(為政者)に都合のよい

モノだけが残されていくもので、一時勝者になろうとも、

やがて次の勝者によって人とともにその敗者が築いた歴史も

また抹殺されてしまうのです。

しかし、書物としては残らなくても、その敗者の残した歴史は

伝説と名を変えて庶民の中に長く残り続けるのですね。

学校で習う歴史の中には全く現れない闇に葬られた歴史は

その伝説の中にチラチラと姿を見せることがあるんです。

(「露垂根神社」)

そんな伝説を訪ねる旅というのもまた、好奇心を際立たせる

面白いものなんですね。

歴史の上で敗者に位置づけられた人物に、

平将門と菅原道真がおります、どちらも敗者になった後も、数々の伝説の中に

生き続け、それは千年の時空を飛び越えて現代にも語りかけてくるのです。

将門と道真はどのように千年間もの命を繋ぎ続けてきたのか、

それは「怨霊」と名を変えて今も生き続けているのですね。

道真公を訪ねる旅を続けてきた中で、遠く離れた大宰府だけではなく

関東一円に道真公伝説は残されておりますよ、

一方の将門となると

現代でも大手町に首塚が祀られ、神田明神では祭神として敬われている

のです、

将門は伝説となって今も生き続けておりますが、その将門を討ち取った相手は

どうなったか、将門ファンとしては憎き相手でありますが、千年後のその相手は

どうなっているのか・・・

その憎き相手 藤原秀郷を訪ねる旅を暮れも押し詰まった一日決行してみました。

秀郷は延長5年(927)に下野国押領使として唐澤山に城を築き、天慶3年2月14日

平貞盛と力を合わせて、将門の軍を下総国幸島において攻め滅ぼした。

と歴史書は伝えている。

(赤城山)

 向かった先は秀郷が城を築いたという唐沢山、その山の上には

秀郷を祭神とした唐澤山神社が鎮座している、

しかしそこは四度も訪ねておりますので、今回は

唐澤山南麓にある「露垂根神社(つゆしねじんじゃ)」を訪ねてみましょう。

(ああ、富士が見える)

「露垂根神社」の案内板には

将門を討ち取った二年後の天慶五年六月、秀郷が安芸国厳島大明神を

勧請したもので市杵島姫命を祀っている。

正月を前に新たに造られた注連縄はまるで龍蛇を思わせるようにくねらせた

姿を見せている。

ここにも伝説が語られていた、

地面に烏の羽を刺して覆ったところ露が垂れ始め其処を掘ったところ水が

湧き出したことから露垂根神社と名を変えたという。

そういえば、この先の唐澤山神社には八大龍王を祀った池があり、

今も水が枯れたことがないという。

地元では秀郷公は善政をしいた領主として敬われていたのですね。

関東の師走は空っ風が吹き荒れ何処までも真っ青な空が広がっている。

再び唐澤山を訪ねる、

訪れるたびに必ずよじ登ってみる天狗岩に再度登る、身体が岩登りに

中々ついていかない、

四つんばいになって登る。

妙なところで年老いたことを感じるものかな。

目の前に広がるのは広大な関東平野、

「富士が見える、赤城が見える、あれは新宿のビル群か・・・」

千年前もこの天狗岩には見張りが立って辺りを警戒していたのだろう、

千年の時空を透かして、現代を覗き見ていた旅の途中です。

下野佐野 唐澤山天狗岩にて