旅を続けていると同じ名前の山に出会うことがある。

特に関東平野を取り囲む低山に「石尊山」をみかける。

江戸時代に爆発的に広まった石尊信仰である。

勿論その中心にあるのは「相模の大山」で山岳信仰として

古来より修験の山でありました。

「大山石尊大権現」は又の名を雨降り石と呼ばれ、

人々の尊崇はやがて請雨の神として、

農民の信仰を受けるようになっていくのです。

その広がりは

群馬、栃木、埼玉、千葉と関東一円に広がっているのです、

今年の寒はことのほか寒さが染み入りますね、

寒中見舞いをとお訊ねしたのは馴染みの町佐原、

快晴に恵まれた昔町には多くの参拝者がその穏やか

なひとときを楽しむように溢れておりました、

この分ではとても香取神宮には寄り付けそうもないと

すぐに行き先変更するあたりは、

信仰より旅を楽しむことが身についている性なのでしょう、

もう歩きなれた町中を人込みを避けるように町の周辺部を

歩いていると今まで其の前を何度も通り過ぎていたのに

全く気づかなかったのが不思議なほど立派な寺院が目に止まった、

路地をひとつ曲がらなければその門に近づけないことが視界を奪って

いたのだろう、「浄土寺」とある。

人の気配はないのに足が境内へと進んでいく、

ある墓石の前でピタリと止まった、

薄くなりかけた墓石の文字がかろうじて判読できた、

もう百年前の年号と行年27歳という女性の名が刻まれていた。

「貴女だったのですか」

シーンと静まり返った墓石の前で手を合わせた、

間違いなく彼女が引き入れた縁に、どんな人生だったのだろうかと

話しかけておりました。

27年の人生に悔いが残らぬ筈はありません、

「突然でしたので花の用意が

 ありませんがどうぞ成仏されますように」

手を合わせるとこころから彼女の為に祈るのであります。

浄土寺を後に町中に戻ろうと次の路地を曲がると

まるで異界の入り口のような石の鳥居が迎えてくれた。

「石尊山」と小さな立標がある、

「えっ、ここにも石尊信仰があったのか」

どうやら私有地であるらしく禁止事項がいくつか書かれていたが

通行禁止ではないらしい、

苔むした石段を登り始めると何処からともなく

『漸傀慣悔六根清浄 大峰八大金剛童子
 大山大聖不動明王  南無石尊大権現
大天狗小天狗 哀患納受
一律礼拝 帰命頂来

 ざんぎざんげろっこんしょうじょう
  おおみねはちだいこんごうどうじ
  おおやまだいしょうふどうみょうおう
  なむしゃくそんだいごんげん
 おおてんぐこてんぐ あいみんのうじゅ
  いちりつらいはい きめいちょうらい』

紛れもなく、石尊信仰の呪文である

息を切らせて階段を登りきると朽ち欠けた

『阿夫利神社』が出迎えてくれた。

今も信仰は生きていたのですね

祭狂いのこの町の人々の信仰の深さを改めて教えられた気分でした。

道は更に山の奥へと続いている、

思わぬ山路をまるで江戸時代へタイムスリップしたように

カサコソと落ち葉を踏みしめて歩く、

やがて山路は一本明確な小道なって山を下り始めた。

突然前方からけたたましい吼え声を上げながら一匹の犬がこちらに

向かってきた。

「野犬か!」

山の中で会う野犬ほど恐ろしいものはない、

立ち止まり近づいてくる犬の目を睨みながら身構えると

「タロー タロー お止め!」

女性の声だった、

「あの、そのまま動かないでくださいね」

犬は今にも飛び掛りそうな勢いで私の周りを駆け回る、

「ごめんなさいね、誰も居ないと思って綱を離してしまったので」

二歳半の雄犬は実は甘ったれで人を見ると駆け寄ってしまうのだと

弁解してしっかりと綱を犬に結び付けてくれた。

「いやー、野犬かと思って肝を冷やしましたよ、でも考えたら

私の方が不審者でしたから仕方ありませんね」

この道は何処に行くのか訪ねると、この先の山を巻いていくと

観福寺の前に出られると教えてくれましてね、

観福寺なら伊能本家の菩提寺ですから何度も伺っています、

行き先がわかればもう心配はありません、

その女性にお礼をいうと意気揚々と山路を下るのでありました。

山を下ると、道野辺の柚子の樹の下に稲荷神社、

素通りするわけにもいかず、手を合わせる。

それにしても、聞きしに勝る信仰の厚い町ですよ。

すっかり夕闇に覆われた町中で馴染みのSさんの店を訪ねる。

「あれ、こんな時間にどうしたの」

「寒中見舞いの挨拶ですよ、今年もよろしく」

いい町ですね、昔町佐原は・・・