卯の花の咲き散る岡ゆほととぎす

   鳴きてさ渡る君は聞きつや 

      万葉集 第十巻 読み人知らず 

桜を二ヶ月も追い求めていて、季節は暦だけでなく

すでに夏を演じていたのですね。

久し振りに長谷を訪ねた、ゆるやかに登る小路には白い卯の花が

いかにも初夏を感じさせてくれている。

やがて小路は突き当たりになる、そこは日蓮縁の寺である。

鎌倉は谷津を山に向かって歩くと道が尽きたところに密やかな

寺が迎えてくれる。

扇ケ谷の海蔵寺、二階堂の覚園寺、瑞泉寺、浄明寺町の浄妙寺、

そして長谷の光則寺しかり、中でもここ光則寺は花好きには

応えられない花の寺なのです。

初夏の夕暮れ、随分陽が延びましたね、お訪ねすると住職の姉君との

久し振りの花談義です。

最近は山紫陽花にのめりこんでしまったようです。

「もうやればやるほど奥が深くて、止どめがないみたいです」

とあの美しい笑顔で応えてくださった。

「いつかお聞きしようと思っていたのですが、

 山門前の シダレサクラはどれくらい経っているのですか」

「私の祖父が身延山のシダレサクラの実を持ち帰り

 庭に撒いたうちの一本が育った桜なんですよ、

 多分、80年くらいじゃないかしら」

なんだか話をお聞きしているだけで80年の物語が目の前に

浮かんでくるようでした。

本堂横の梅の木はあの「思いのまま」、

その立ち姿はすでに人間の寿命をはるかに超えているようです。

「そこの 『都忘れ』は母が嫁に来たときに

 既に咲いていたそうですから多分、60年は経っているでしょう、

 そうそう、この『花いかだ』も同じくらい経っていますのよ」

何気ない野の花に時の歴史を感じる花の寺です。

匂いたつ芳香に思わず振り向くとそれは 定家蔓(テイカカズラ)

の香りでした。

そうです、あの能『定家』の中で

「式子内親王は定家との秘めた恋が世間に漏れ始めたため、

二度と会わずにこの世を去った、定家の執心はいかばかりか

やがて 定家蔓となって式子内親王の墓に幾重にもまといついていた。」

「この定家蔓は何に絡み付いているのですか」

「多分、梅の木だと思いますよ」

「そうか、もしかしたらこの梅も 思いのまま かもしれませんね」

「随分、ロマンチックなこと・・・」

そこへ近所の婦人が姿をあらわし、

「昨日、寄ったらモリアオガエルの鳴き声がしたんだけど」

「そうなの、夕べ卵を産んだのよ、ほらあそこ」

「えっ、鎌倉にモリアオガエルが居るのですか」

「どうしているのか判らないけれど、確かに居るのよ」

「間違いないわ、あれはモリアオガエルの卵です」

彼女は学生時代天然記念のモリアオガエルを届けを出して

研究したことがあるとか、

私は、栃木や群馬の山の中の沼で見たことはありますが

鎌倉に居たなんて初耳でした。

「天敵はいないのですか」

「いいえ、蛇もイモリもいるからそんなに住みいい環境だとは

 思えないのに、二年前くらいから住み着いてるの」

花談義は紫陽花から梅、桜、椿、そして野草からとうとう蛙まで

とうとう気づいたら二時間もお邪魔しておりました。

長居のお礼を言って寺を後にすると、夕暮れの坂道をのんびりと

歩く鎌倉散歩でありました。