平成20年 4月6日、多田小餘綾(こゆるぎ)さんが

亡くなられた、101歳の人生を真っ当された彼女こそ今を盛んの

阿波踊りをここまでに盛り上げた『阿波よしこの節』の名手お鯉さん

その人なのです。

亡くなるその日まで、お弟子さんへのお稽古を続けていたと聞き、

小唄の師匠であった私の母を重ねてしまうのです。

母は87歳まで現役で頑張ったのですが、まだ上には上の方が

おられるのですね。

昭和6年、「徳島盆踊り歌」をレコードへ吹き込むことになった時、

鐘や太鼓の奏者との出だしのタイミングが中々合わないため休憩を

とった時に、ふと浮かんだのが江戸時代から唄われていた囃子言葉の

「ハアラ 」と「エライヤッチャ」を組み合わせて『お鯉節』を

即興で歌った、まさか本人も後に爆発的にこの節回しが流行り出すとは

思いもしなかったのです。

  阿波よしこの節

  ハアラ エライヤッチャ エライヤッチャ
  ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ

  阿波の殿様 蜂須賀さまが
  今に残せし 阿波踊り

  ハアラ エライヤッチャ エライヤッチャ
  ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ

  笹山通れば 笹ばかり
  猪 豆喰て ホウイ ホイ ホイ

  ハアラ エライヤッチャ エライヤッチャ
  ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ

  笛や太鼓の よしこのばやし
  踊りつきせぬ 阿波の夜
  
  踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら
  踊らにゃ損々

  ハアラ エライヤッチャ エライヤッチャ
  ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ

日本文化の象徴でもある邦楽、舞踏、和装衣装、

明治維新の激動の中で、西洋文化が洪水のように雪崩れ込んできた

そんな時代に押しつぶされていったのが日本文化、

必死に守りとおしたのは、花柳界で生きる人々だったのです、

三味線はギターに取って代わられ、太鼓はドラムへ、

旋律は八拍子、十六拍子、はては三十二拍子と、年寄りなどついていけない

リズムが当たり前になってしまった西洋音楽の氾濫、

そんな、世相の中で、それでも邦楽は消えはしなかったのです、

それは、祭りがあったから、

未だに祭りになると、笛、太鼓、鼓、三味線が音源の全てなのです、

若者が笛を吹き、三味線を弾き、太鼓をたたく、

その時ですよ、

「嗚呼、日本人でよかった」と感じるのは。

さて、今日も阿波踊りに浸っています、

勿論、待っていたのは、日本文化をとことん追求する

 舞踏集団 「菊の会」

流し踊りの素晴らしさはもう何度も体験済みですが、

「菊の会」の真髄は 舞台にあるのです、

あのすっと立った姿こそ日本人の和装美の極致です、

完璧な踊り、鳴り物の正確さ、調和へのあくなき追求、

「菊の会」の求めているものがその舞台から押し寄せるように

伝わってくるのです。

阿波踊りは、日本人のもうひとつの精神の発露なのです、

この国の長い歴史の中で、庶民とはいつも束縛され、押しつぶされながら

生きてきたのです、しかし、はいはいと返事をしながら腹の中では、

「冗談じゃないよ」

と反骨精神に溢れていたのですよ、

 「エライヤッチャ エライヤッチャ」

とは、

 「エライコッチャ エライコッチャ」

とハヤシながら自らの心を静めているのかもしれませんですよ。

美しい舞をみながら、日本人であることの誇りを感じていた

祭り旅の途中です。

(2018年8月 南越谷阿波踊り にて)