伊豆の旅に持ってきたのは川端康成が青春を描いた『伊豆の踊り子』、

もう何度目かを読み終わったのは、修善寺の旅館だった。

青春の恋路を、情念の道行きに替えたのは石川さゆりのあの唄であった、

少女から女に移り変わる刹那を感じる旅のつもりだったが、女の情念が

現れては消える。

下田街道は今が盛りの紅葉道、伊豆の暖かさを感じながら

宿を後にする。

梅の名所 月ヶ瀬を過ぎると湯ヶ島宿、鄙びた山の湯である、

いよいよ路は登りにかかる、目の前に屏風のような天城の山並みが

聳え立ち、峠を越える旅人に覚悟を迫ってくるようだ。

深い山の路がかなりの高みに変わり始めた頃、遥か谷の奥から

轟々という滝の音、『淨連の滝か・・・』

その音の元へは長い長い下りの階段が続いている、

二年前であったら、帰りの登りを思えば躊躇なく行くことを

止めていただろう。

『淨連の滝』

九十九折りの峠へ続く旧道は、あの小説の頃と

あまり変わってはいない、

登るにしたがって、色ついた葉はいつしか落葉となり、

流れる瀬を見通せるほどに冬の姿へ移ろっていく。

辿り着いたのは天城隋道、三十年ぶり二度目の天城越えである。

川端康成が訪ねたはるか昔、吉田松陰やアメリカ初代駐日総領事ハリス

が越えた幕末には、まだこの隧道はなかった、どの辺りを越えたのだろうか。

冷たい雫がぽたぽた落ちていた隋道を抜けると、さすがに日当たりのよい

南斜面は山が燃えていた。

道行の二人にはきっと余りの明るさに目を伏せたであろう山道が

湯ケ野に向かって下っていた。

かつては『伊豆の踊り子』の面影を追う旅であったものが、

いつしか女の情念まで背負う旅になろうとは・・・

やがて現れた寒天橋、なにげない橋までもが意味ありげに感じてしまう、

げに恐ろしきは歌の力なるかな。

まだ十分に葉の茂った紅葉の彩を染めるように抜けるような青空が

細い山道の上に広がっていた。

『死んでもいい』

と呟いた女の情念はこの余りにも明るい南伊豆の空の下で

戸惑いをみせなかっただろうか

だからといって月明かりの中を越えるには余りに深くて遠い

天城越えである。