戦後の荒れ果てた上野や浅草の地下街に親をなくした浮浪児が

たむろしていた頃、ラジオからこんな唄が聞こえてきた、

「私は街の子 巷の子

  窓に灯りが ともる頃

  いつもの道を 歩きます」

そう、美空ひばりがませた声で歌っていたのです。

戦場から戻ってきた親達は、生きるために悪戦苦闘の

日々が続いていたそんな日だったと思う、

末っ子だったアタシは、自分の会社を立ち上げたばかりの親父に

「父さん、チマタってなんですか」

「チマタか・・・それは・・・

人が大勢集まってにぎやかなところかな」

「それじゃ浅草はチマタなのですか」

親父はアタシの頭を撫ぜながら、

「生きるか死ぬかの瀬戸際で生きているところは

みんなチマタかもしれないな」

その日いらい、幼かったアタシの記憶の中に、

その チマタが押し込められていたのです。

あれか何十年になるのだろう、

急に記憶の中から チマタ(巷)が蘇ってきたのです。

改めて チマタ(巷)を考えておりましてね、

いつもの散歩の途中で立ち寄った本屋で、

一冊の本を手にしたのです、

 藤川桂介著「今は昔 言霊 あり」保険毎日新聞社刊

その中に

「さまざまな人や、ものが行き来する賑やかな町の通りを巷と

 いいますが、

 昔は『知末多』という字を当てて呼んでいました。

 知末多・・・・未だ知ること多し」

なるほど、チマタへ行けばさまざまな人やものが集まっていて、

まだ知らなかったことに出会うことができるわけで、人は知らず

知らずのうちにチマタに吸い寄せられていったのですね。

そのことを教えてくれた親父も、そして子供の頃からチマタを手を引いて

連れていってくれていたおふくろももうあの世のチマタを歩いているでしょう、

アタシも古希を過ぎたとはえ、相変わらず賑やかな通りを

ブラブラと歩くことを続けているのは、

どうやら 知らず知らずのうちに巷を 知末多と理解していた

のかもしれませんな。

実は我が家の鬼姫様は大の巷ファンなのでしてね、

「何処へ行きますか」

とお尋ねすると

「どこか賑やかな商店街へ連れていってくださいな」

今までは、買い物好きなだけだと思っていたのですが、

どうやら鬼姫様も

知末多すなわちまだ知らぬことを見つけていたのですね。

本日はあの美空ひばりさんの唄を思い出しながら 

下町の巷を歩いてまいりました、

あの頃は子供たちが沢山屯っておりましたな、

50年後は平日の巷はなんと老人の多いことか、

そらそうですよ、あの頃の子供はみんな爺さん婆さんに

なっちるのですから・・・

世相を反映するのが巷、その中に身を沈めてみると、

生きることの意味が

感じられるかもしれませんよ。

アタシの両手には買い物の成果がズシリ!

御伴はつらいですな・・・