(吉原神社 九郎助稲荷)

かつて江戸には一日に千両の金が落ちたといわれる

場所が三つありましてね、

まずは朝の賑わう日本橋魚市場、

昼は芝居町(日本橋から浅草猿若町に移されました)

そして夜は遊郭吉原(やはり後に浅草千束へ移されました)

江戸っ子が楽しんだ娯楽は、芝居、相撲、寄席、富くじ、など

実に多彩なものでした、そのうち昼、夜の娯楽が浅草は浅草寺界隈に

集められたのですからそりゃ浅草は毎日祭りのような様相が繰り広げられて

いたのですな。

(九郎助稲荷前で出迎えてくれた妖かし猫と吉原狐長者四郎兵衛狐)

さて、本日は初午、毎年東国三十三国稲荷総司の王子稲荷にお参りして

おりましたが、最近地元浅草吉原に怪しき狐が現れているらしいとの

噂を聞き及び、早速、吉原へ、

吉原といえばかつての遊郭があった場所、悲しい秘話が残された土地でも

あったのです、吉原の遊女達は当時廓の守護神として祀られていた

五箇所の稲荷社を信仰していたといいます、

(芸狐衆のお囃子)

吉原大門の手前に玄徳稲荷社、

廓の四隅に榎本稲荷社、 明石稲荷社、開運稲荷社、九郎助稲荷社の

五つの稲荷社があったのです、

明治の代、これら五つの稲荷社が合祀され、総称して吉原神社として

今に残されておりましてね。

(芸狐衆の河童益次郎(左)と益次郎の化け狐(中)太鼓狐の破矢姫(左))

吉原と聞くと悲しい秘話ばかりが目立ってしまいますが、三百年の

歴史の中では数々の文化の発信もあったのです。

葛飾北斎の「吉原の終年」の中に大晦日に囃子方を引き連れ、

狐の面をかぶり、両手に御幣と鈴を持って舞い踊る狐舞いが描かれて

おりますが、

廓の中では四箇所の稲荷社が祀られておりましたので、当然の行事で

あったことでしょう。

(吉原狐太夫 百合之介)

この狐舞いに限らず、ありんすという吉原ことば、

花魁の詠む和歌、煌びやかな衣装などは

吉原解体とともに消えてしまったのですな。

この「狐舞ひ」を現代に蘇らせようと現れたのは、

吉原狐太夫の百合之助、なんでも千三百年前、

天界から落ちてきた白狐で、

江戸時代には遊女たちから絶大な信仰を受け、

その遊女達の狂おしいまでの情念により

髪が真っ赤に変色しているらしい。

(吉原狐冠者 鏡衛門)

その吉原狐太夫が芸狐衆を引き連れて 

狐舞いを披露する というのでさっそく吉原神社へ、

迎えてくれたのは妖かしの猫、お聞きすると

狐舞はこの先に設えた舞台でやるとのこと、

今年の初午は地元浅草で楽しめそうでありんすな。

(吉原大門狐 頑九郎)

かつて吉原では節分にお化けの仮装して楽しんでいたという、

最近流行りだしたハロウィン仮装のずっと昔から、

このお江戸にも仮装の楽しみ方があったのですな。

この「江戸吉原節分おばけ仮装コンテスト」の模様は

後ほどお話しするとして

(吉原狐舞い『天下布舞』)

待ちに待った吉原狐太夫の登場にヤンヤの歓声と拍手でございます。

吉原狐冠者と吉原大門狐を引き連れて、華姫、弓姫、破矢姫、瑠璃姫

さらに河童の益次郎たちのお囃子に見事な『天下布舞』。

さらに狐三番叟まで披露され、今年は嬉しい初午となりました。

この吉原狐社中の動きに目が離せなくなり申した。

「末永く続きますよう応援しなければ」

と見事に狐に憑かれてしまった祭り旅の途中でございます。