鈴木省三という名を聞いたのは五年前

谷津バラ園を訪ねた時でした、

1913年5月23日生まれ、園芸学校卒業後は

園芸業者のもとで見習い、

その頃からバラへの関心をもち始め25歳で

『とどろきばらえん』を開園、それからは

バラ一筋に生産と育苗に邁進す。

日本は万葉の時代から野生のバラの花を愛でて

いたのですが、

何時の間にか忘れられる存在になってしまっていたのです、

そのバラの育成に情熱を注ぐ人が現れたのは、

もしかしたら神の選択だったのかもしれません、

鈴木省三氏は戦後京成電鉄の依頼で谷津遊園の「バラ園」を造園、

彼のバラに対する情熱は絶えることなく湧き出る水のごとくに

次々と新たなバラを生み出していくのです。

「天の川」、「聖火」、「芳純」、「乾杯」、

「光彩」、「丹頂」、「秋月」、「紫雲」・・・

彼の生み出したバラには、古来からこの国で

咲き続けているバラに対する誇りが込められて

いるのでしょうか、

そこにには美しい日本を彷彿させる名前が

付けられているのです。

(秋月)

86歳で永眠するまで百数種のバラを育成し、

外国のコンクールでは数々の栄誉を受け、

特にAARS(オールアメリカセレクション)大賞を

「光彩」で日本人では初めて受賞、いつしか人々は

彼を「ミスターローズ」と呼ぶように

なったのです。

(紫雲)

1年ぶりに鈴木省三氏が心血を注いだバラ園を訪ねました。

バラに興味を抱かなかったら、彼の名も、彼の功績も、

知らずにいたのでしょうね、

バラ園はまるで彼の誕生月を祝うように見事な花の競演です、

その一画には、彼の功績を忍ぶように、

「乾杯」、「秋月」、「紫雲」などが

その麗しい姿を見せてくれておりました。

(ピース)

夕暮れ前のバラ園は、数え切れないほどの名の麗しいバラの

競演です、

「ミスターローズ」と呼ばれた男が愛した「ピース」という名の

バラは今も平和の象徴のように緩やかに風に揺れていますよ。

桜には桜の美しさがあり、

バラにはバラの華麗な美があるのです、

それぞれに、花はそこに咲くだけで麗しいものですね。