夢と現実の関係について最も深く考えた古代人の一人に

中国の春秋戦国時代の人、列子がいる。

その列子は夢を六夢に別けた

「正夢」「ガク夢」「思夢」「寝夢」「喜夢」「懼夢」

其の中の「思夢」というのは「物思いにふけることによって見る夢」

なのだそうで、これならいつでも見られそうな気がする。

このところ、朝に昼に晩に暇さえあれば空を見上げている、

空を見ていると、その物思いにふけられるのです。

旅人の先駆者は数々思い浮かべることができますが、

中でも芭蕉は「思夢」を見続けた旅人に違いない、

『月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。

 舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、

 日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。

 予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、

 漂泊の思ひやまず・・・』

おくのほそ道の序文にこう記した芭蕉の時代、

古人も芭蕉もいつかやってくる人生の最後をまさか空の上だとは

思いもしなかったはず、

 「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」  

芭蕉は最後の最後まで夢を見ていたのである。いや夢を見られる

余裕があったと言うべきかも知れない。

現代は文明の高度に発達した時代、いつのまにか旅は大空さえも

縦横無尽に駆け巡ることが出来る、人はその文明の発達を何の

疑いもなく受け入れてしまった。

ある夏の一日、500人を上回る人々を乗せたジャンボ機は

夢を見る余裕もなく大空から消えた、一瞬の出来事であった。

あの無限の象徴であった大空が旅の途中の死であった人々は・・・

文明の惨さをあれほど克明に知らしめた出来事はなかったはず

しかし、ある人は夢をかなえるために 今も大空への旅を

続けている。

アタシは旅の手段としての飛行機利用を止めた、

今年も九州まで行く旅を予定しているが新幹線にいたします。

今は飛行機なら博多まで2時間も掛からずに行けますよ、

昨年、新幹線利用で博多まで5時間、

アタシらの若いころは夜汽車で24時間もかかっていたことを

思えば十分速いじゃないですかね、

人は鳥にはなれない地上の生き物であることをもう一度

じっくりと考える時期にあるのかもしれない、

 この道や行く人なしに秋の暮  芭蕉

ゆっくりとした人生にはゆっくりとした死が待っていると

信じていたい旅の途中です。