白居易(白楽天)は「長恨歌」の中で

玄宗皇帝が寵愛した楊貴妃をある花に例えた。

雲鬢花顔金歩揺、芙蓉帳暖度春宵。

春宵苦短日高起、従此君王不早朝。

雲のように豊かな黒髪、花が開いたように美しい顔、

そしてきらきらと揺れる黄金の簪、

楊貴妃は蓮の花の縫い取りをした帳の中で

暖かな春の夜を天子と共に過ごしていた

しかし驪山のふもとのにある宮殿で

琴や笛の調べを緩く奏でるさまを

天子は一日中楽しんでいた時、

突如として、安禄山が大地を揺るがして攻め上ってきた。

奥深い宮城の中には煙と塵が立ち上り

天子は多くの車と騎兵の大軍を引き連れて西南へと

落ち延びて行った。

しかし美人の楊貴妃は天子の馬前で死んでしまった

花模様のかんざしは地に捨てられたまま、

だれも拾い上げる人もなく、

かわせみの羽の髪飾りも、

黄金でできた孔雀の形をした簪も、

玉で作った笄も、

同じように散乱したままでした。

天子は見かねて顔を袖で覆ったまま、救おうにも救えず

振り返って見ると、血を交えた涙が流れるばかりであった。

帰来池苑皆依旧、太液芙蓉未央柳。

芙蓉如面柳如眉、対此如何不涙垂。

宮中に帰ってみると、池も庭も皆昔のままであり

太液池の蓮の花も、未央宮の柳も変わりなく

蓮の花は在りし日の楊貴妃の顔のようだし、柳の葉は眉のようで

これを見るにつけ、どうして涙のこぼれないことがあろうか、

白居易はその絶世の美女を蓮の花に例えたのです。

紫式部は源氏物語の中で

『太液の芙蓉、未央の柳もげに通ひたりしかたちを』と

蓮の花を美人の顔にと、何の迷いも無く記しているのです。

清少納言や紫式部を虜にした太液の芙蓉こそ 蓮の花 なのです。

私はこの蓮の花を見るたびに、仏の花よりも

楊貴妃に例えた恋の花の方がより似合うような気がするのですがね。

朝の光の中で そっと開き始めた蓮の花の姿の

何と言う美しさでしょうか、

かつては恋の花のままであったら と思った人たちも沢山いたはず、

そのあまりの美しさに人は恋に狂うことを恐れ、仏に其の身を

預けたのでしょうか・・・

今は俗世の欲にまみれず清らかに生きることの象徴として

生き続けているのです。

しかし、そっと息を殺して近づいてみると、

何と言う艶かしさでしょうか、

楊貴妃を思い起こさせるその妖艶な姿は

お釈迦様でも抑えることは出来ないのではないかと

朝からこころ乱されるのでありますよ。