目標を立て、その目標を実現させるために

あらゆる策略をめぐらせ、マニュアルを作成し

その通りに実行できることを善しとする生き方を

60年以上も続けてきたニッポン、

一年後の目標を達成すると、また新たな目標を作成する、

その目標を目指して汗水流して手に入れたモノとは・・・

思い返してみれば、何時も危機感を抱えながらの人生では

なかったのか、競争の繰り返しは、知らぬ間に自分自身を

見失っていく。

道元という人は『無目的』の生き方を提唱していった、

明日、一月後、一年後、十年後に目標を定めて今日を生きる

のではなく、今日自分がしようとすること、しなくてはならないこと

だけに没頭して元気に今を生きるということ。

他人より努力したからいい人生が待っているなんていう結果は

どこにもないのです、

あの人はいい人だった、あの人は努力家だったという理由で

自然はその人を助けてくれる保証などすることはないのです。

どういう生き方がいいのだろうか、

そんな問いに『自他利行』あるのみと道元は云う、

見返りを求めない生き方とは、他人を利する生き方、

そのことがいつしか自分を利することになると言い切っている。

『自他利行』は現代ではボランティアと名を変えて

生き続けている、

万法の声とは無言であるけれど、あえて言葉にすれば、

『人のため』『みんなのため』だという、

自然は何事も声にすることなく、雨を降らせ、風を吹かせ

あらゆる生物のために働いている、

緑は色を増し、やがて野にも花が咲く、

今年の春に自然が残したことは

あきらめることではなく、欲を捨て、

無我の自分を信じること、

結果はただひとつ、

無のまま生まれた者は無のまま逝くだけ、

何も残すことなどなくていいのだ。

皐月の風は何を運んでくれるのか、

見つけようとしなくてもいい、

そっと頬を撫ぜてくれるだけで

今生きていることを感じることが出来るのだから。

深い森の中に息づくものに耳を傾け、

漂う空気の香りを胸いっぱいに吸い込んでみる、

「私は今日も生かされています」

(2017年5月北鎌倉にて)