関東から東北地方の太平洋側の漁村で信仰されている

守護神に あんば様 と呼ばれる船御霊の親神様が

おりましてね、

そのあんば様とはそもそもどこからきたものか

と興味をもって探してみると、

どうやら茨城県稲敷市の大杉神社に行き着いたのです。

この大杉神社は訪ねてみるとその賢覧豪華な建物が

ひときは目をひくのです。

平成八年から始まった大修理も終わり、まるで日光東照宮を

思わせるほどの麒麟門、本堂が目の前に現れています。

さてその大杉神社も何度もお訪ねしているのですが、

御由緒をお聞きすると

なんと常陸風土記の中に登場する古社でもあるのです。

その長い歴史の中には、

勝道上人、常陸坊海尊、天海僧正など、不思議な力を

発揮した名が立ち現れてくるので興味深々なのですが、

今回の訪問は、「悪魔払い囃子」とまでいわれた 

「あんば囃子」を聴くという目的がありますのでその機会を

待っておりました。

「あんばの方から、吹く風は疱瘡が軽いと吹いてくる。

ア ヨーイヤサ ヨー ヨーオイ ヨーイーヤアーサー」、

この疫病退散のお囃子が「あんば囃子」なのです。

「あんば囃子(悪魔払い囃子)」は、元和三年(1617年)に

 銚子の田中玄蕃が醤油の醸造の成功祈願の御礼として、

 十二座神楽とともに紀州より伝えられた」とのこと、

長年通い続けている佐原の大祭で得も言われぬ佐原囃子に

聞きほれているのですが、

そのルーツはあんば囃子にあると聴いていたのです、

いつの日か、そのあんば囃子をこの耳で、この目で見てみたいと

願っておりました。

その あんば囃子 が大杉神社の秋の祭りに奉納されると聞いて

飛んでまいりました。

東京から二時間、駆けつけた時は、ちょうど御神幸祭が終わったところで、

神事には間に合いませんでしたが、どうやら、神楽殿での奉納あんば囃子には

何とか間に合うことができました。

神楽殿に揃ったのはあんば囃子保存会にみなさん、

笛5、大太鼓1、締太鼓1、鼓2、鉦1、

どうやら構成は佐原囃子と同じくらいです、

揃いの着物に白の半纏、胸元には左に大杉神社、右にあんばさまの文字、

どんな演奏が始まるのかドキドキしながらその時を待っています、

太鼓の音が合図で始まったのは あの砂切(さんぎり)でした、

勿論、笛は一人です、

格調高く砂切が終わると、出を待っていた婦人会の踊りが始まります。

後で聞いて曲目が判ったのですが、

磯辺、八幡山のお囃子で神楽殿前にある四角の縁をぐるりと取り巻いての

総踊りです、

あの佐原でも屋台の前で総踊りを踊るのですが、あんば囃子の総踊りは

もっと素朴で、短調な動きでしたね。

踊りが終わると、曲目は馬鹿囃子、花三番曳、喇叭節(私のわかる範囲です)

が演奏され、最後は砂切で締めとなりました。

演奏が終わった後で、砂切についてお訊ねすると、

今日のお囃子は、佐原の砂切をやりましたとのこと。

あんば囃子が利根川沿岸の町に伝播していったのは、

江戸時代の悪魔祓いの儀式が、あんば囃子とともに

伝わっていったのでしょう、

成田、江戸崎、佐原、潮来などの祭りの中にこのあんば囃子と同様の

お囃子が演じられていることは、その伝播が川の水運を使って届けられた

ことを物語っているのかもしれませんね。

あんば囃子と総踊りの奉納が無事終わると、

急に観客が立ち上がりました、

何が始まるのか、

やがて神主様が手に五色の餅を捧げ、

どうやら、この餅を手にすると夢が叶うとのこと、

ところがこの五色の餅の固いのなんの、

まるで石のようでしてね、頭に当たればたんこぶが出来そうですよ、

アタシは足元に転がった紫色のお餅をひとつだけ手にいれました、

はて、どんな夢が叶うのでしょうか・・・。