和我屋度能 伊佐左村竹 布久風能

於等能可蘇氣伎 許能由布敝可母

大伴家持 万葉集巻十九より

『我が屋戸の いささ群竹 吹く風の

   音のかそけき この夕かも』

万葉の時代から、古人たちは、かすかな音や

あるかなしやの気配まで、五感を研ぎ澄ませて

感じあっていたんですね。

『可蘇氣伎』(かそけき)などという表現に

日本人の感性の豊かさを感じませんか。

最近読んだ本の中に「かそけき」などと表現するエッセイに出会い

ましてね、

岡本かの子は秋の七草の中にそれを、

白州正子は古寺古仏をめぐる祈り旅の中でそれを感じ取っている。

目に見えぬもの

例えば 風の音、闇夜に聞く虫の音、何処からともなく漂って

くる花の香り、神の発する言葉・・・

かそけきものとは要するにこころで感じ取るモノのことだったのです、

かつては、かそけき気配を身につけた女性が数多おられましたな、

過去形で云わなければならないところが、残念なんですが

近頃は、男だか女だか端から見てたら全く区別がつかず、

それでは話す言葉を聴けば判るかといえば、

「よう、こっちへよこせよ」

てっきり男の子だと思ったらよく見れば女の子、

もう人間様に「かそけき」気配を求めるなど

無駄なことかもしれませんですよ。

現代は何でも白日の下へ曝け出すことが正義みたいな

変な世の中になりましたでしょ、

何でも科学の発達は、人間の遺伝子まで実に詳しく

暴いてくれるのです、

所詮男の遺伝子は、女性よりひとつ少なくて、おまけに

男になるための遺伝子は、昔に比べると減少していて、

どうやら半分くらいになっているのだとか、

草食系男子なんて揶揄しなくたって、そのうち、男は

この世から消えていく運命なんですよ。

どなたが頼んだのか知れませんがそんな遺伝子詮索は余計な

お世話というものですよ。

其の頃になると、女性はしぶとく環境に迎合して、男など

居なくてもきちんと子孫を残す能力を身につけている

でしょうから、かそけきモノとは男なり、なんて笑えない話に

なるやもしれませんな。

まるで木枯らしのような冷たい風の午後、こんな悲しいことを想像して

いれば気持ちも落ち込んでしまいますよ、

せめて、かそけき花にでも会いにいきますかね。

ありましたよ、かそけき風情の花が、

ムラサキシキブって、こんなにカヨワキ風情だったのですね、

かの清少納言が「気の強いオンナ」なんて毒づいておりました

紫式部も、この花を見つけたら、少しはかそけき気配を漂わせた

かもしれませんですよ。

ツワブキの花の色、折からの風にあたらぬ様に、そっと体で防いで

やりたくなるではないですかね。

カサコソと微かな声を漏らしながら枯れ葉が舞い、

地面を覆い始めている、

気付いたのは微かな菊のかほり、

梅の香りは目をつぶっていてもわかるほどですが、

秋の菊の香りはまさに かそけきものの代表でしょうかね。

 菊の香や奈良には古き仏達       松尾芭蕉

これ以上しゃべり続けると、何処からともなくツブテが飛んで

来そうな気配でございます、

「物言えば唇寒し秋の夕」ってか。