『まつり』とは

民俗学者の柳田国男は、

尊い方のおそばに仕え奉るという意味だと書いている。

折口信夫は『まつる』は神意を宣(の)ることだと云う。

つまり『まつり』とは神意を具象する為に奉仕する行為をいうのかもしれない。

元来、日本の神は自然の山や杜、高い樹木、奇岩などを神体として

祀ってきたのです。

神は動かないモノとしての認識があったはずです、しかし、人間の側に

変化が現れる、それは土地を開墾したり、移住のために神の傍から

離れなければならない事情なのです、神の神意に従って生きてきた人々は

その矛盾した生き方にどういう対処を考えたのでしょうか、

祀るという行為はあくまでも人間の側の行為なのですから、神を

一緒に移動していただけたらと考えるのは結果としては至極自然の行為

に思えたのでしょう、なぜなら、神に伺いをたて神の意向に従った行為

だと確認できたらそれは祀るという行為に違いはないはずだと、あくまでも

神意に反していない方法を考えたのかもしれません、

分霊という考え方が生まれたのは、人間の生きるための智恵の発露なのです、

動かすことのできない神を、依り代によって身近なところへお迎えするという

ことが起こってくるのは当然の帰結なのですね、

御幣という依り代は、その究極の姿かもしれません、手に持って移動できる神、

分霊はやがて神輿を造りだし、神を身近に感じられる地域の総意として

まつりの形態が出来上がってきたのではないでしょうか。

勿論、神のお傍に仕えるためには、精進潔斎により神の穢れを嫌うという神意に

沿わなければなりません、白装束に身を包むなどはその具体的表現であり、

神を喜ばせるために、お囃子が奏でられるのもすべて神の神意に沿う行為そのものなのです。

神を奉る行為こそ『まつり』である、

奉る側の人間には哀しいかな寿命という神のお決めになった変えることのできない

事実が歴然のあることを気づかされた時、伝える心が芽生えることは当たり前に

起こってくるのでしょう。

まつりのやり方にはこうしろという書き物があるわけではありません、

まつりにかかわることで、自然に身につけるしか方法がないのです、

百年経ち、二百年が過ぎ、三百年が・・・

それはやがて伝統となって輝きを増し続けるのです。

荒ぶる神の神意を引き出すために激しく動くやり方がある反面、

静かに神の詔(みことのり)に耳を傾ける行為もある、

今年の秋も、佐原の町に、あの静謐な佐原囃子が川面を揺らし始める、

激しさを奥に秘めた山車の引き回しが静かに静かに始まった。

『砂切り』の笛の音が神の御心に届くように・・・