刹那覺えずといへども、

 これを運びてやまざれば、

 命を終ふる期、忽ちに到る。

     徒然草 108段より

刹那とは指をパチンとひとはじきする間に65刹那あるという

時間の一番短い単位を云うのだそうで、だからといって

計算機を持ち出して、1刹那は1秒の何分の一だと明示する

類の単位ではありませんよ、

刹那とは人が意識しない最小単位にかかわらず、いつのまにか

刹那は積もり積もって、若かったあなたも、まだ若いつもりの

あたしにも鏡をみるとびっくりするほどの変化をもたらすのですよ。

兼好先生は相変わらず、切ないことをずばりと言い残されるのです、

 これを運びてやまざれば

何時の間にか老いて命が終わるというのです。

そりゃ、何時かは命が尽きると頭ではわかっていても、

「そんなに今日や明日にはやってこないさ」

と考えないようにするのが凡人の凡人たる証なんですがね。

 日々に過ぎゆくさま、かねて思ひつるに似ず。

 一年のこともかくの如し。

 一生の間もまたしかなり。

    徒然草 189段より

命の尽きることさえ思い通りにいかないことのように、

生きていくことは、予想通りにいかないことが当たり前なのに

予想通りいかないと、他人を恨んだり、果ては神様、仏様にまで

罵声を浴びせたりと、まあ、人間とは扱いにくいものでありますな、

最近は 想定外のこと なんていう便利な言葉で気持ちを立て直そう

なんていう試みが流行っておりますが、兼好先生はトウの昔から

  日々に過ぎゆくさま、かねて思ひつるに似ず。

とはっきりと申されているではないですか。

そんな宝石のような言葉がぎっしりと詰まった「徒然草」を小脇に抱えて

やってまいりましたのは、いつもの百花園、

入り口で入園料を払おうとすると、受付嬢は何の疑いもなく

「60歳以上の方は半額です」

要するに爺婆は割引の対象というわけ、

なんだか得した気分ですが、

それよりなにより、ひと目で爺と何のためらいも無く

決め付けられたことに、自分でも思っていなかったので

急に体から力が抜けてしまいましたよ。

そうかもう何処から見ても 老人 なんですな、

「刹那の重なりとは恐ろしいものですよ、兼好先生!」

ベンチに座って持ってきた兼好先生の本を開いてみる、

 人、死を憎まば、生を愛すべし。
 
 存命の喜び、日々にらのしまざらんや。

      徒然草 93段より

そうですよ、老人とは必ず死ぬというこれ以上間違いないことが

そう遠くない未来にあるというなら、日々を楽しまなくてなるものか、

「そうか、明日の朝は目が覚めないかもしれないな、いや待てよ

 今日の帰り道で車に撥ね飛ばされるかも、うーん、刹那とは

 そんな瞬間があることを突きつけるのか」

百花園には老人が集まっている、

みんな笑顔でここまで歩いてこられましたのも、

刹那をしっかりと捕まえていた証だったのですよ。

そんなに特別なことではなく、今日という日が、何事も無く

過ぎていく刹那の塊であったらこんなに幸せなことはないのですよね。

大きく深呼吸すると、秋の花がそっとお辞儀をしてくれた

散歩の途中のことでございます。

今日も生きていることに 感謝を。