そういえば、毎日更新しているHP「旅の途中」の

スタートは確か 湯島天満宮でしたね。

あれから15年目の春浅き日、足が湯島に向かうのは

原点回帰というのでしょうかね。

あの時は、何をやっても三日坊主の飽きやすい性格のまま

「まあ一週間も続けばいいかな」

くらいの軽い気持ちだったんですよ、

本殿で手を合わせ

「毎日歩き続けてみようと思いますので、ひとつ病気にだけは

しないでくださいまし」とお賽銭を弾んでお願いいたしました。

ところが、お約束したお相手は神様ですから、健康でいる限り

その約束を一方的に破ることはできないことに気づきましてね、

一週間どころか、三七 二十一日を過ぎても元気は衰えるどころか

病気ひとつしないじゃありませんか、

神様は律儀に約束を守っていただいているのだと思うと、

そりゃ、簡単にこちらの都合で破るわけにはいきませんでしょ、

何しろ子供の頃から、躾の厳しかったオフクロに

「神様と約束したことは必ず守るものだよ」

と口が酸っぱくなるほど言い聞かせられて育ちましたので

アタシには珍しく、三ヶ月が半年、一年が三年と元気に続いて

おりますと、人間 欲がでるもので、

もし途中で止めたら、神様が

「この不届きモノ!」

と続いていた健康を剥ぎ取ってしまわれるかもしれませんでしょ、

ところが、毎日続けるぞと意気込むと、待っているのは挫折ですよ、

人間息をしないと10分と生きられないのですから、

息をするように自然にいればいいと気づくのですよ。

15年とは 365日×15=5、475日に閏年三回分の3日を足して

5、478日ですよ、

24時間×5478=131,472時間それは7、888,320分ですよ、

チリも積もればとはこのことか、

その7、888,320分間、息が途切れなかったとはもう奇跡というほか

ありませんですよ。

まあ、そこまで大げさに思わなくていいのですが、5、475日を毎日どこかへ

訪ね歩くというのは、よほど好奇心がないと続かないことも

実感として感じたことで、繰り返すことの難しさをその好奇心が

乗り越えてくれるからに違いないと、改めて感じ入るのでありますよ。

「今日はどこへ行こうかな」

と迷うと不思議とここ湯島を詣でているのは、

きっと神様が次なる指針を自分で探すようにと啓示してくださるから

でしょうかね。

そんなことの繰り返しは、どうも毎日の行き先に神社仏閣が思い浮かんで

しまうのは、初心がきっとそうさせるのでしょうかね、

最近、鬼姫様をお誘いすると、

「いつも、神社やお寺さんばかりですから、おひとりでお行きあそばせ」

やっぱり、街歩きや散歩なんてものは しょせん ひとり遊び の範疇

でやるものなんですかね。

湯島の今年の梅の香りを胸の奥まで吸い込んで、

「まあ、あせらず、のんびり、行きますかな・・・」 

(2017年春)