ほとゝぎす銚子は國のとっぱづれ    古帳庵

江戸小網町の豪商 古帳庵 こと鈴木金兵衛は51歳の時に

商売を捨て六部となり、日本国中の神社仏閣霊場を巡拝して歩く

旅人として生きたという。

四国八十八ヶ所、西国・秩父・坂東百番札所、をはじめ

富士浅間、木曾御嶽山、出羽湯殿山・羽黒山・月山、

鳥海山越中立山、加賀白山、大和大峰、伊予石槌山、肥後阿蘇山

さらに高千穂峰など、交通手段が徒歩という江戸時代に

何をしてそこまで古帳庵を突き動かしたのだろうか、

古帳庵の廻った地を並べてみると、すべて私の旅先に重なって

いるのです、そんな古帳庵の生き様に興味を持つのは必然に

思われたのですよ。

その古帳庵は何を思ったか、十年の旅の後、百数十基の順拝碑や句碑を

建て続けたのですよ、

かつて商売と俳句で知り合った江戸の豪商や知人たちに勧進状を廻して

寄進を受けてまで石碑を建てた理由とは・・・

これは想像でしかないが、六部となって行脚を続ける古帳庵の後姿が

ちらちらと目の前を過ぎっていくのです、

初めて古帳庵の建てた石碑を見つけたのは、たしか越生であった、

その時は、功成り名を遂げた満足感が自己顕示欲のための石碑くらいに

しか思えなかったが、旅先で古帳庵の名を再度見つけると、

全くその名も知らなかった古帳庵の人物そのものに惹きつけられて

いたというわけですよ。

時代は隔たっていようとも、旅を続ける中で感じ取っていた心の動きは

理解できる気がしたのかもしれません、

古帳庵の旅先はすべて信仰の対象になる土地であった、

不思議なもので、私も坂東や秩父の観音霊場巡りを体験しているのですが、

それほど信仰心があるわけでもないのに、巡っているうちに、

止められなくなるのですよ、あれは、旅の中で孤独に陥った心情を

もうひとりの誰かが囁くのですよ、誰かが傍にいると感じられる瞬間から

ひきづられるように続けてしまうのですね。

銚子は坂東観音霊場のひとつ円福寺がある、その境内に

  ほととぎす 銚子は国の とっぱずれ

の句碑は確かにありました、

何だか、こうして確かな石碑として残されていると、古帳庵が

旅の中で感じた孤独感が消えてしまう気がしたのは、私の旅に対する

思い入れがまだ重く引きずっているからなのでしょうかね、

孤独というのは、形にした時点で消滅してしまうのかもしれないな、

その旅の孤独を消すまいと、外川の漁港を訪ねた、

もう何度も訪ねている とっぱずれの港で迎えてくれたのはカモメだけ、

「オマエもひとりか・・・」

寒の海風は身体の芯まで冷やしてしまう、

孤独を味わうには、少し効き目が在り過ぎました、

長居は無用と坂の道を戻ると、終着駅から列車が赤い灯を残して

出て行ったばかり、駅前には店などない、

次の列車が来るまで、無人の駅のベンチでじっと待つ、

「どうだい、孤独を満喫したかい」

耳元で囁いたのはもしかしたら 古帳庵だったのかな・・・

銚子 戸川駅にて

参照:越生町教育委員会発行「古帳庵 鈴木金兵衛をめぐって」