「ウーッ 寒いね、どうなってるんだ」

いつもの散歩のつもりで路地へ出てみたら

雨は雨でも氷雨みたいじゃないですかね、

「ちょいと、待ってくださいよ、上着着てきますから」

仕切りなおしでもう一度出直しですよ、

まったく、今年の陽気はどうなっちまったのですかね。

「おい、夏太郎じゃないか、元気が無いようだが」

「これはこれは、散歩のおやじさん、いいところで

お目にかかれました、今日でお別れでございます」

「なんだね、急に、いつものお前さんらしくないよ」

「いえね、アタシはもうしばらく腰を落ち着けていたかった

のですがね、皆さんが、冗談じゃないよ、いい加減にしろ、

 っておっしゃるもんで、なんだか肩身が狭くなっちまい

 ましてね」

「そういえば、今年の夏は暑かったからね、

 年寄りがバタバタ倒れたそうじゃないかね」

「アタシはそんな気は無かったんですが、

 ちょいとはしゃぎすぎましたもので」

「昨日もちょいと騒いでおりましたら、

 世間では暑さ寒さも彼岸までって云うのを

 知らねーのか って散々説教されましてね、

 親に電話かけたら、もういい加減に帰って来いって」

「なんだかお前さんがしょげちまうと、急に寒さが

 堪えるよ、それでいつ六合(くに)に帰るんだね」

「はい、これから直ぐに」

「随分せっかち過ぎやしないかい」

「いやいや、人間様の怖さが身に沁みましたので

 海だ、プールだ、氷イチゴだってあんなに喜んでくれた子供達

 までアタシの顔を見るとうんざりした顔をするんですよ、

 もうアタシの居場所は此処にはないんだ」

「そんなに自分を責めちゃいけないよ、お前さんが来なくなったら

 此の世は御仕舞いになっちまうのだからさ、元気出して、蕎麦でも

 奢るからさ」

「いつもながらのご親切、ありがたいのですが、親父が向こうで

 待っておりますので、どうぞ来年の桜が散るまでお元気で」

そう云うと、夏太郎は路地の先の狭い空を掻き分けて

すーっと姿を消したのでございますよ。

ちょいと鬱陶しいと思っておりましたが、居なくなればなったで

あんなに邪険な言い方じゃなくて、もう少し優しい声を掛けてやれば

よかったかと・・・

夏太郎が居なくなってみれば、

浅草はいきなりどんよりとした晩秋、

「何もこんなに急に居なくならなくても

 良さそうなもんじゃないかね」

ぶつぶつと路地裏抜けて、今度は観音様にお願いしてこよう

「えーっ、只今夏太郎が帰っていきました、

 どうぞ冬次郎さんにはゆっくりときていただきますように

 観音様にお願いでございます」

なんでも急のつくことはいけませんですよ、

特に年寄りは身体がついていけませんでしょ、

ゆっくり、のんびりと季節も変わっていただきませんと

馴れるのに右往左往するばかりでございます。

こう寒くちゃ呑兵衛は熱燗でしょうが、下戸のアタシは

例のアレで身体を中からあたためないとね、

ちょいと何時もの店へ

「女将さん、鍋焼き熱くしておくれ」

夏太郎の居なくなった浅草は冷たい雨の宵でございます。