一年の計は元旦にあり、

とけじめをつけて始まった平成28年、

寒さの中から希望を見出し、梅が咲き、桜が咲いた春、

雪も降れば雨も降る、台風でもないのに大風が吹き、

相変わらず地震は頻発する。

気が遠くなりそうな猛暑の夏もなんとか乗り越え、

祭りに明け暮れているうちに気が付けば今年も

四分三が過ぎていく。

それでも気持ちを切らさずに変わらぬ日々を過ごす

ということは何と骨の折れることかな。

夏越の大祓を習慣のように潜り、七夕を迎え、

さらにダメ押しのように歳をひとつ重ねる、

それでも、周りがどう思おうと、自分だけは歳のことは気にしない

生き方をしていようと思う。

車を使った移動をなるべく避け始めたのは、体力の衰えを

感じ始めたからかもしれない、電車の利用は確かにしんどい、

それでも駅の階段を上り下りし、なるべく席に座らず、揺れる電車に

身を任せながら調子を合わせる方法を身に着け始めると、

「まだ当分は旅が続けられそうな気がするぞ」

と自分に言い聞かせている。

江戸の昔から 浅草に限らず彼方此方にもお山開きの習慣がある、

人は高い山に神を信じて登るのはなぜでしょうか、

勿論信仰心に裏打ちされた行動なのでしょうが、人間には

高いところへ上ることへの憧れがあるのではないですかね。

「なぜ山に登るのですか」

と尋ねると

「そこに山があるから」

とは決まり文句ですが、アタシも若い頃は夢中で山に登った

ことがあるんです。

信仰心よりも天空に近づけることへの憧れを可能にできることの

満足感の方が大きかった気がしますね。

もう富士山に登る気力も体力も無くなってしまっても、心の隅には

高いところへの憧れは残り火のようにくすぶっているんです。

初めて訪ねる町の駅を降りると、まずその町の一番の高みを探すんです、

そしてその高みから町を眺め、目に焼き付けてからゆっくりと歩き始める

それがアタシの旅のやり方なんですよ。

小さな丘であったり、デパートの屋上だったり、それはその時の臨機応変、

案外そんなことも旅の楽しみになったりするんですね。

しかし、近頃はトンデモナイ高さのビルが立ち上がり、

まるで天空に溶け込みそうな高さから街を見下ろすことができるのですね。

へそ曲がりとしては、

「何もそこまで高くしなくても・・・」

と恐る恐る街を眺めたりして、

これじゃ何もかもが小さすぎてわからないじゃないですか。

すごすごと地上に戻ると、自分の足で立っていることの

確かさだけを感じることができるのです。

「これでいいんだ、のんびり行くさ」

ビル風が猛烈な勢いで吹き抜けた、

買ったばかりの帽子まで吹き飛ばしてね、

慌てて帽子を追いかけながらひとり大笑いしていた

旅の途中でございますよ。