会津西街道が坂東の最奥に行き着くと、

そこからは峠道、

九十九折の峠道を登りつめると峠の先は陸奥会津、

はるばる来たものだと江戸を出立した昔の旅人は

旅心にどっぷりとつかったのでしょうね。

私が初めて会津の地に足を踏み入れたのは

その山王峠が峠らしい姿で迎えてくれておりましたのに、

今は数十秒であっという間にトンネルで抜けてしまうのです。

旅心を味わう暇もありませんですね。

峠を下ると道はT字路にぶつかり、右に行けば会津田島方面、

迷うことなくハンドルを左へ、その道は南会津の山へと

分け入っていくのです。

もう40年も前のことなのですが、

会津線が蒸気を吐き出して走っていたのは、

その時訪れたのはその会津線の終着駅 滝の原でした。

会津若松から田島を抜けはるばるこの滝の原まで

やって来た蒸気機関車はぐるりと回る台車に載せられると

方向転換して再び会津の町場へと戻っていくんです。

今回滝の原のつもりで訪ねてびっくり

まるで清里駅を思わせるような「会津高原駅」がかつての

滝の原駅に変わってそこにありましてね。

何だか不思議なものを見ている気分でしたね。

乗降客も観光客も見当たらない駅というのは、

人が集まってくる場所だけに

妙に寂しいものですね。

駅前にあるのは、会津高原農林物産販売所だけです。

「おばちゃん、いつもこんなに空いてるの」

「平日はこんなものだよ」

「昔のことだけどわかるかな」

「ここに嫁にきて40年だから大抵のことは判るさ」

「滝の原の駅がこんなに変わってしまったのにびっくりしたよ」

「昔は此処が終点だったけど、今はそのまま浅草まで行かれるんだから

 便利になったもんだよ、あたしもこの間浅草まで行ってきたんだから」

「その浅草から久し振りにやってきたんだよ、

 確か温泉宿が一軒だけあったんだけど」

「ああ、今でもあるよ、久し振りってどのくらいぶりなのさ」

「40年ぶり」

「それじゃ浦島太郎だね」

「まだ中山峠を登って立岩村へ行ったんだ」

「今はサーってトンネルでわけなく行かれるさ」

「中山峠は今でも通れるのかな」

「さあ、地元の人も通る人はいないよ」

あの木地師の集落を求めて会津の山中を彷徨ってから

いつのまにか40年もたっていたんですね。

「八総集落の奥に保城っていう

 木地師の集落があったんだけど・・・」

「何でも開拓地が整備されて、今じゃスキー場まで出来たって話だよ
 
 アタシは行ったことないけどさ」

すっかり昔話に華が咲いてしまったのに、お客は誰も来ませんでね。

「おばちゃん、油売ったから何か買っていくよ」

「この大豆はアタシが作ったんだよ、

 煮豆にすると美味しいから持ってきなよ」

その大豆と親戚の農家が作っているというりんご、

味見をしたら懐かしい昔の津軽でしたよ。

「ところでどこか旨い蕎麦を食べさせる店はないかな」

「これから舘岩に行くのならその途中に

 美味しい蕎麦屋さんがあるから 寄っていくといい」

旅はこういうきっかけで次に繋がっていくのですよ。

昔の未舗装の道ならノンビリ走るのですが、

なにしろ素晴らしい舗装道路に行き交う車ははなし、

山また山を眺めながら走り続けていると、

確かに店らしい建物がありました、あわてて戻ると

其処が蕎麦処「おり田」さんでしてね

先客が一組、

「この店、最近出来たんですか」

「いえ、もう14年目ですよ」

「へー、この道は何度も通っているけど気づかなかったな」

「みんな来る人がそういうのです」

こんなに目立たない店も珍しいですね。

夫婦二人だけの店は人柄がしのばれる美しい蕎麦を出してくれましてね、

人家の見当たらない山の道辺にポツンとある店は、なんだか御伽噺に
でてくるようでしてね。

その味は、やっぱり想像していた通りでした。

「美味しいね」

化粧っ気のない奥さんは嬉しそうにニコリと笑顔で応えてくれるのでした。

また一軒、いい蕎麦屋さんに出会えた旅の途中です。

2007年10月 会津滝の原にて