母と娘の関係は男共には想像の範疇を超えるものらしい、

歳を重ねるに従って本人の意思とは関係無しに

その容貌が、

話し方が、

首の傾げ方が、

そして歩き方まで

母親そっくりになってくる。

私の母も、妻の母上も、きものが普段着として

当たり前のように生きてきた年代でした、

そんな環境の中で育っても必ずしもその娘が

きもの好きになるとは限らないのですが、

ある時急にきものに目覚める時があるらしい、

そんなこころがきものに夢中になっている時に、

突然母の死に直面した娘は泣き叫び、縋り付いて

母との別れを悲しんだ、刻の止まった日々を過ごし

ながらやがて中陰の時を過ぎる頃、我に返っていく。

娘は母の形見のきもののなかから一着のきものを纏う、

それは母がこよなく愛した肩から桜の花が散りかけている

ものであった。

あれから桜の時期が来ると必ずそのきものに袖を通すことが

当たり前になっていた、

早咲きの桜が咲き始めたこの日、そのきものに袖を通した妻は

まるで20年前の母上がその場に現れたかと想うほどにその仕草が、

立ち姿が、ピタリと重なっていた。

「母上にそっくりになりましたね」

妻は黙ったまま微笑んだ。

毎年のように繰り返す季節の移ろいの中で、

忘れてはならない人の為に

そっとその桜のきものに袖を通す妻の想いを

じっと見守っていたいと思う。

大都会の夕暮れの中を桜が舞う、

一瞬であっても母と娘の絆のようにその桜は舞う・・・