もう随分昔のことにになるけれど、真面目が取り得だった

友人のMが珍しくマイクを握って謡ったことがあった。

謡い終わるとボロボロと涙をこぼした、

酒の入っていた仲間は、その涙を酒のつまみにして

はやし立てた。

それっきりMはみんなの前で歌わなくなった。

海を見ながらなぜMのことを思い出したんだろう・・・

きっと波の音にこころがやすらんでいたのだろう。

人はそれぞれ固有の時間を持って生きている、

Mの時間はMだけのもの、私の時間は私だけのもの、

その固有の時間を持ち寄ることで出逢いがあることを

旅から教えられてくると、あの時のMの時間をなぜ大切に

出来なかったのかと思う、

そのことに気づくのに20年もかかってしまったんだよ、

Mが逝って10年になる、

ひとり旅が好きだったMは自分の時間を誰にも

邪魔されない世界で味わっているのだろうか、

「ひとり旅は寂しくないか」

と聞いたとき、

「旅先にだって優しい人はいるんだよ」

それは、確信のある言葉だった。

今ならMの言葉をすべて受け入れることができるだろう、

見知らぬ人の持っている時間と、自分の持っている時間が

クロスしたところに出逢いがあることを信じていられるからね。

「故郷の空は今日も青空かい」

まさかもう泣いたりしてはいないだろうね。

今なら二人で旅の話ができるだろ、

それぞれの時間を持ち寄ってね。

君が見損なったこの国の姿は、そちらに行ったときに

話せるだろう、時間は十分にあるだろうからね、

見られない君の未来が悔いのあるものでなければ、此の国は

まんざらでもないけれど、今は、そんなに薔薇色でもないよ、

あの君が知ってる狂乱のばかばかしい時代は無くなって

めいめいが自分の時間を見つめなおそうとはしているけれどね。

残された時間はだいぶ少なくなってはいるけれど、

もう少し旅を続けてみるさ、

今度逢ったとき、君の質問に答えられるようにね、

まだ美しい青空は残されているから・・・。

そういえば、間もなく中秋の名月が見られるね、

君のことだからそちらからもきっと見つめているだろう、

いつかまた逢えることを・・・