「山の上から眺めるとな、白い雲が一面に

 広がってるようなんだ、そりゃ綺麗なものさね」

梅干を漬けていた婆さまは腰を伸ばすと遠くを

眺めながら教えてくれた。それは暑い夏の日のことでした。

その話を聞いたとき、まるで目の前がその白い雲に

覆われてしまったような錯覚を覚えたのはもう

10年も前のことになりました。

それからは毎年、この榛名山の南山麓を訪ね始めましてね。

来る年も来る年も、しかし、あの婆さまが教えてくれた

白い雲に会うことはできませんでね。

そりゃ、調べれば直ぐに判るでしょうが、何だか事前に

調べてから訪ねると、あの婆さまの教えてくれた白い雲が

消えてしまうような気がして、毎年、この時期かなと

手探り状態の年が続いていたのです。

毎年夏が過ぎると漬け上がった梅干をいただきに訪ねては

いたのですが、そのうちあの婆さまの姿も消えてしまいました。

今年が丁度10年目、

あの婆さまが教えてくれた白い雲に出会うことが

叶いましたよ。

あの婆さまの言葉は嘘ではなかった・・・

榛名の峰峰から吹き降ろす風に吹かれながら

「婆ちゃん、本当に白い雲が現れたよ」

「あんた何処からきたね」

ぼんやりと梅の木を眺めていると後ろか声が聞こえた。

振り向くと畑仕事の手を休めた爺さまが見つめている。

梅の木にこころが奪われていたのか人がいることも

気づかずにおりましてね。

78歳になるというM翁は、どうやら話好きらしく

さかんに下界の街並みを指差しては説明をしてくれる。

「あの白く見えるのが高崎観音、こっちの高い建物が

前橋の県庁びる、あっちの高いのが高崎市役所だ」

どうやら、高い建物が御気に入りらしい、そのうち

自分の畑に案内すると、

「わしの作った大根を持っていけ」

とその大根畑から年季の入った腰使いで大きな大根を

抜いてくれましてね、

黙っていると何本も抜きそうな元気に、あわてて

「一本でいいですよ」

「一本でいいのか、こいつは美味いのにな」

あたしはその大根を一本ぶら下げて、畑の道を

意気揚々歩きましてね。

それにしても重いのなんの、

M翁にお礼を言って歩きだすと、赤城の山並みが

梅の花の向こうに赤く輝いておりました。

またひとり元気な老人に出会った旅の途中です。