いよいよ今年の酉の市も見納めですよ、

三の酉まである年は火事が多い、なんていう昔からの

言い伝えを気にしながらも、三回もあるのなら変わった

ところへ参拝に行ってみるかななんて想っているのは、

きっと好奇心旺盛なアタシだけかもしれませがね。

勿論、子供の頃から浅草で育ってきたので、

お酉様は生活の一部に繰り込まれておりましてね、

お酉様を素通りするなんて出来ないのでありますよ。

実は東京だけでも酉の市は二十数か所の神社や寺で

行われているのでして、

どこか変わったところはないかと調べてみると、

やはり神社ばかり

浅草の長国寺がお寺さんで酉の市を行うのは珍しい

例だったんですね、

ところが他に一箇所、酉の市を行うお寺さんがありましてね、

それもアタシの住んでる街だったんですよ。

日蓮宗大本山 正中山法華経寺に祭られている妙見宮、

早速、夕食を済ませると、法華経寺を訪ねました。

先日は、荒行入行会で、今年も百数十人の修行僧が入行

したばかりの境内は、市が開かれているのがウソのように

静まり返っているのです。

妙見宮はなかなか不思議なところで、祀っているのは

『妙見大菩薩』と呼ばれる仏様、

古代中国の思想に北辰(北極星)こそ天の中心で妙見尊星王

と呼ばれており、

仏教が流入すると、北辰は妙見大菩薩へと変貌していく。

妙見とは「何事も見通す視力」の意で、善悪や真理を見通す力の

ある菩薩として妙見信仰が生まれたのでしょうね。

鎌倉時代、日本でもこの妙見が道教、密教、陰陽道が絡み合って

一族の守り神として妙見信仰が信じられてきたのです。

特に千葉氏は千葉妙見宮(後の千葉神社)を一族の守り神と

してきたので千葉では妙見信仰がかなりの範囲で信じられて

きていたのです。

日蓮は鎌倉松葉ケ谷で焼き討ちに会うと、

ここ市川の地に逃れ、領主富木常忍の庇護の下、法華経寺を

開堂するのですが、その後も数々の法難に会うことになるのです。

日蓮と妙見信仰のかかわりは、多分安房東条の郷小松原の法難の後

茂原の小早川内記との出会い、鷲山寺建立へ結びつくのです、

鷲山寺の鎮守こそ妙見大菩薩で、その姿は鷲の上に乗られて

いることから鷲妙見大明神と呼ばれるようになったのです。

随分、遠回りしましたが、お寺と酉の市がやっと結びつきましたよ。

日蓮宗の大本山法華経寺にも妙見宮が祀られていることが

理解できました、

当然のように酉の市も開かれていたというわけですよ。

浅草の賑わいに比べるべきことではありませんが、

神妙にお参りを済ませると、家内安全を祈願して、小さな熊手を

所望いたしました。

そういえば、浅草の長国寺も千葉茂原の大本山鷲山寺から

鷲妙見大菩薩を迎え移し祀られていたのですね。

昔は神仏混交が当たり前でしたから何もこんなに複雑に

考えることもなかったということだったのですね。

縁起物には難しい理屈はいらないのですよ、

信じる者は救われるだけで、それ以上は求めやしませんよ。

あんまり考えすぎて頭が痛くなった、三の酉の宵のことでございます。

(2017年11月 正中山法華経寺 妙見宮にて)