永代橋が大川に最初に架橋されたのは、元禄11年(1698年)8月、

ちょうど同じ時代その永代橋のたもとで伊勢国乳熊郷の

竹口作兵衛義道は味噌醸造の商いを始めた。

乳熊屋作兵衛門商店で、『ちくま味噌』の始まりであります。

このちくま味噌店が永代橋際で見つめてきた300年の歴史は

そのままこの国の変貌の歴史と重なっていくのです、

江戸中がひっくり返るような騒動は

かの赤穂四十七士の打ち入り

本懐を遂げた一行は泉岳寺目指して引き上げる途中、

永代橋に差し掛かると、作兵衛はその一行を店に招きいれ、

甘酒粥を振舞った。

一行は、再び歩を進め永代橋を渡ると足音だけが何時までも

響いていたという。

文化4年(1807年)年8月19日、深川富岡八幡宮の祭礼日に

詰め掛けた群衆の重みに耐え切れず橋が落ちた、

史上最悪の落橋事故として歴史の中に刻されたのは

200年前のこと、

文政十二年の大火、安政の大地震、幕末、

明治維新、関東大震災、戦災・・・

歴史の節々をじっと見つめてきた永代橋とちくま味噌、の関係は

これからもこの国の歴史を見続けるに違いありません。

近頃、深川に入り浸りになっているのは、

昔の繁栄こそ陰を潜めてはおりますが

粋でいなせな風潮は未だに残り香のように

嗅ぎ分けられるからなんですがね。

風に吹かれて大川にかかる永代橋を渡れば、

そこから見えるのは未来、

どんなに目を凝らしてももう江戸の名残は

ありませんがね、それでも

人は想像力がある限り、粋な仕草や生き方だって

見失うことはないのですよ。

ほら、屋形船が未来の戸ばくちまで連れていっても、

必ず元の居心地よいあなたの居場所に戻してくれるでしょう。

そういえば、この橋の袂にあった船着場から送られた

遠島への囚人は二度と戻ることは無かったという

厳しい歴史もこの橋は見ていたのですがね。

さてと今宵も紅灯の巷に出没しますかね、しらふでね・・・

永代橋東詰にて