花の雲鐘は上野か浅草か

観音のいらか見やりつ花の雲

           芭蕉

両句とも芭蕉さんが深川の芭蕉庵にて桜に想いを寄せて

詠んだ句でありますが、

花の雲のように見えた桜が浅草のどの辺りにあったのかは、

今となっては全く謎なのでありますな、

暇人はいつものようによたよたと浅草を徘徊し始める夕暮れ時、

ふと浅草の桜を思い描くのでありますよ。

そういえば、雷門へ続く道は昔から並木と呼ばれておりましてね、

ほら有名な蕎麦屋さんがあるじゃないですか 並木の藪蕎麦 って、

どうもあの道に桜並木があったのではないかと想像しているのですよ。

芭蕉庵から雷門まで直線距離で一里まではありませんでしょ、

ビルなどという無粋な建物もなく、浅草田圃と呼ばれていた

元禄時代のことですから、

十分に観音堂の甍も桜並木も春の霞の中にぼーっと見えて

いたのではないですかね。

まあ、想像の世界ですから 出鱈目言うな! なんて

怖いメールを送りつけるのだけは勘弁してくださいよ。

さてと、何時ものアタシの散歩コース、

ひさご通りから六区へ、途中から西参道へ、

きもの屋の親父を冷やかして、奥山へ、

「おーっ!今年の浅草桜が咲いたね」

断っておきますが、寒桜でも染井吉野でもありませんよ、

浅草サクラ!!

一度咲いたら絶対に散らないという有難いサクラなんですよ。

「なんでー、偽者じゃねぇか」

そう目くじらをたてなさんな、どうせ本物の桜が咲いたって

チラッと見ただけで後は酒盛りで大騒ぎてぇのが江戸の花見と

くりゃ、桜は二の次で丁度いい塩梅なんですよ。

どうです、仲見世だって満開の桜が毎日見られるじゃありませんか、

浅草はね、本物も大事にするけど、客が求めてない時は、

 「ほどほど」てぇ手をを遣うんですよ。

要するに、浮かれてくだされば、後は実を獲るというわけでね。

本物の桜の下で、あのブルーシート敷いて花見やるなら、

カサカサの水気のない桜眺めて美味しい食事処でくーっと一杯てのも

どっちもどっちってぇ気がするのは、左党の僻みというものですかね。

すっかり花見気分になっちまった散歩のおじさんは、甘味処へ直行、

「お汁粉 頼むよ!」

なんだいその目は、花見にお汁粉食っちゃ悪いかい!

なに、もう酔っ払ってるてか、

そうだよ 酔っ払っちゃったんだよ 

 アサクサのサ・ク・ラにね・・・

(三年前の浅草は賑わっておりましたな)