牛嶋神社の前を通ると今年も威勢のいい掛け声が響き、

町内神輿が揺れています。三年前の本祭りを思い出して

おりました。

最近、早寝早起きがすっかり身についたようで、

目を覚ますとまずは窓の外を眺める、

「うーん、今日も暑くなりそうだ・・・」

「早寝早起きは年寄りになった証拠ですよ」

なんて言われても本人は

「いや祭りで大汗かいて身体が健康になったからです」

と、あくまでも祭りに拘るのでございます。

暇人に見えてもアタシもまだれっきとした仕事人で、

朝早くか夕方仕事が終わってからごそごそ動き出すというわけでして、

今朝も何はともあれ朝の本所へ駆けつけるのでありますよ。

昨日のあの暑さの中、さすがに神牛役の黒牛さんも、さすがに疲れたらしく

ぐっすりと眠っていたとか、

今回やって来たのは関西生まれの黒牛、あちらのお祭りでは精々5~6キロ位が

一日の歩く距離らしのですが、東都の祭り牛嶋神社大祭は、

何しろ氏子町内が広くて、昨日は約三里(12km)も歩いたのですから

そりゃ、牛もさぞかしびっくりしたでしょうね。

本所の若宮では、いよいよ本日の御鳳輦巡幸の支度が整い始めておりますよ。

何しろ一番人気は本物の黒牛、御鳳輦を曳くのは御年11歳の熟年牝牛なのだとか、

もしもの時の代役は4歳のこちらも見目麗しき牝牛さん、一晩土の上で過ごして

いくらか東都の夏の暑さにも慣れてきたようです。

神様も一晩こちらでお過ごしになられ、もしかしたら酩酊されたかもしれませんが、

朝陽の中に御鳳輦ごと引き出されてさぞかし眩しいのではないかと、

なにかと気を使ってしまうのです。

牛も人も草鞋で足元をかため、出発準備が着々と整ってまいります。

若者達は、昨日の疲れがもう出始めたのか、盛んにふくらはぎ辺りを

摩りながら、それぞれの配置につく、

黒牛がいよいよ御鳳輦の牛車に繋がれると、神の牛へと変わっていく、

本日の巡行コースを確認する牛方世話人の方々、

「今日の方が距離が多いじゃないですかね」

「多分、20kmくらいじゃないかな」

「牛も心配やが、ワシらの方が持つかそちらが肝心ですな」

それでも祭りの雰囲気が笑顔を作らせているみたいで、

本日もなんだかありがたい一日になりそうですよ。

その時、一人の婆様が息せききってやってきましてね。

「ああ、間に合ってよかった!」

アタシよりひと回りくらい年上のご婦人は、噴出す汗を拭き拭き

大きな深呼吸ひとつ。

「どうしたのそんなに慌ててさ」

「昨日の行列がうちの町内を通るのをみてたのよ、あっという間に
通り過ぎて

しまったから、今日は神社へ伺ってみようと、向島の牛嶋様へ

行ったら今朝は本所の若宮さまから出発だっていうじゃないのさ、

それでここまでやってきたのよ」

「えっ!歩いてきたの」

「そうよ、まだ足だけは丈夫だからさ、でも次は五年後だって

いうじゃないの、

いくらなんでも五年後は判りやしないもの、だからさ、

もしかしたらこれが

最期になるかもしれないってやってきたのよ」

なんだか、オフクロのことを思い出しちまいましたよ。

その元気な婆様と仲良く並んで神様のお見送りです。

鳶の頭の甲高い木遣りの声が朝のしじまに響き渡る、

これが江戸の祭りなんですよ、

みっちりと三番まで唸ると、頭の右手がさっと振り下ろされた、

いよいよ本日の御巡幸の始りです。

心配していた神牛も無事に動き出しました、

「ドーン!」

太鼓が一行の通過を知らせるように鳴り響く、

御鳳輦巡幸にはお囃子はありません、

静かななかに古式ゆかしい装束が揺れ、ひたひたと草鞋の音がかすかに

聞こえている。

横を見ると、先ほどの婆様が涙をぬぐっていた、

「間に合ってよかってですね」

「先に逝ってる祭り好きの旦那にいい冥土の土産ができたみたいよ」

「大丈夫だよ、次はたった五年先だからさ」

何度も頷いていた朝の祭り旅の途中のことでございます。

平成24年9月 牛嶋神社例大祭にて